うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

牡丹の蕾と、【最後の「言葉を超えた経験」は、しばしば私たちの中に生じる感情を通してのみ、すなわち広い意味での逆転移を通してのみ捉えることができる。】

 

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 去年の猛暑で、大家さんから頂いた、シデコブシが枯れましたが、牡丹は蕾が出て来ました。シデコブシの発芽率は少ないと、地元の方が言っていましたし、昔は枝が細いので竈の火をつけるのに便利だったので、沢山採っていたとのことです。だから少なくなったのでしょうか?

 

 今日は夜勤なので、事務仕事と思いましたが(笑)、首と肩の凝りが酷いので、久しぶりにジムに行って、入念にストレッチをして、少しだけ筋トレをして、マッサージ器を2回して、お風呂に入って来ました。少しコリが改善しましたが、4月5月は忙しくてなかなか時間が取れません.......。

 本も、ジムが開くまでファミマでコーヒーを飲みながら読みました。今回はジョセフ先生に戻っています。

 

 

 現場でも、逆転移を冷静に見たり、感じたりすることが出来れば、支援方法が自ずと見えて来ます。それがその方が一番困っているからと思われるます。それと、下記にあるように、全体状況を感じながら考えることも忘れてはいけませんね。それがないと、正確に逆転移を見極められない気もします。

 

 

 ~定義上、全体という概念は患者が関係の中にもちこむすべてを含まなければならない。私たちは患者が言っていることに注意すると共に、それを超えて関係の中で起こって、ことや患者による分析家の使用に私たちの注意を集中力させることによって、患者が持ち込む事柄を判断することができる。私たちの転移についての理解の多くは以下のような疑問を通じて全てクラインものである。その疑問とはすなわち、形がさまざまな理由から私たちが物事を感じるようどのように作用しているのか、彼らはその防衛システムの中に私たちをどのように引き込もうとするのか、彼らは転移した中で私たちを彼らとともに行動化させようとしながら私たちとどのように行動化するのか、幼児期から造り上げられ子ども時代と成人期を通して精巧なものに仕上げられた患者に内的世界の様相やしばしば言葉の使用を超えた経験を彼らはどのように伝えるのかが、これらの疑問である。最後の「言葉を超えた経験」は、しばしば私たちの中に生じる感情を通してのみ、すなわち広い意味での逆転移を通してのみ捉えることができる。