うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

テレキャスターと、「学習性無力感」と、【痛みを被らない患者は喜びを“被り”損なう。】

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 先日、プロの方にこのテレキャスターの音の出し方が良いし、あなただからその音が出ると、言われて嬉しかったです。でも、27歳の時に買ってから何十年弾いているのか?ですね.......。最近はアコースティックばかり弾いています。エレキを弾くのは、バンドクラブの時だけですね。

 

 

 

 

 帰宅後、ネットのニュースを見ていたら、下記の様なニュースがあり、早番で早めに出て、ファミマで読んでいた箇所と何となく重なったので、アップしてみました。

 

 

「臓器を売るぞ」1000万円以上脅し取られた日本人男女3人 恐怖の監禁生活(FNN PRIME) - Y!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190204-00010002-fnnprimev-int #Yahooニュースアプリ

 

 恐怖と絶望によって、逃げ出す気持ちがなくなる状態は、アメリカの心理学者が発表した学習性無力感という状態と同じだ。小学館大辞泉には、「努力を重ねても望む結果が得られない状況が続いた結果、何をしても無意味だと思うようになり、不快な状態を脱する努力を行わなくなること」と記されている。恐怖で洗脳され、無力感をもった3人は、逃げたくても逃げることができなかったと考えられる。

 

 

 何だか、流れるニュースを見ていると、憤りを感じたり、それを通り越したり、胸が痛くなったり.......。今日はニュースを見んとこ、と思いましたが、見てしまいました....。上記のニュースは今日が初出ではありませんが、今日は開いて見ました。

 学習性無力感という言葉にきっと引っかかったのだと思われます。 

これは、自分達も気をつけないといけない事で、施設顔と言う言葉があるように、施設の中だけで過ごすと(刺激のない施設)、表情や感情が全くでない顔になるということです。

 先日、虐待で亡くなられた、10歳の女の子も、最後の方はこんな感じになってしまっていたのかも知れませんね.......。平凡に日々を過ごすということがどんなに素敵で大事なことなのか、なくした後に気づきます......。

 生き辛さを感じているのは、障がいをお持ちの方々だけではないですね.....。皆さん信じてくれませんが、自分は母親が自死してから、家庭が崩壊し、小学校6年生の時には、半ズボンが一つしかなく、洗濯していたら、友達が誘いに来てくれても、居留守をつかっていました。母親が自死したら誰でもへこみますよね?でも、へこんでいたら、おやじがカラーテレビやレーシングカーを買ってやったのにって......。世の中にはお金に代えられない物があるのにって、ちょうど先日虐待で亡くなった方と同じ10歳の時でした.......。

 母親目当てに、喫茶店(自宅が喫茶店でした)に来てくれていたので、それからはお客さんも少なくなり、おやじが全く働かなくなりました。自分がそんな環境が嫌で、大阪から京都に行き、住み込みで働いていて、頂くお給金が6万円で、3万円弟に仕送りをしていましたが(その半分は継母が貯金してくれていました)、それでもおやじは金を貸してくれと(笑)。その当時は1,000円使うのにも悩みに悩んで使っていたので(笑)、虚しさだけ感じて生きていた感じでした(笑)。まあ、今となれば、笑い話ですが!

 10歳の女の子のことを思うと、堪え切れないものがありました......。

 

 自分は幸い、仕事でそれなりに自信を持て、曲がらずに人生を過ごせています。少し前に書いた「支援者に成功体験がないと、利用者さん達にも成功体験を与えることができないのではないだろうか?」と思ったのも、根はそこかも知れません。

 

 下記のビオンの言葉は、おそらく防衛が強すぎる人のことを言いたいのでしょうか?

無意識の中で防衛していたら、自分が一番気が付かないのかもしれませんね。

 

 普通の家庭で育った方を羨ましく、また憎く感じた若い時もありましたが、ハンディがあっても、気持ちの持ちようでどうにかなると、自分も大切な物をなくして自信を失っていた時に、考えて考えて考え抜いた末に、やっと到達しました。

 

 

 

 「痛みや欲求不満に耐性のない人がいて(あるいはそういう人たちにおいては、痛みや欲求不満が耐え難いものである)、そのため痛みを感じはするがそれを被らず、こうして痛みを見出だしたとはいえない人びとが存在する……痛みを被らない患者は喜びを“被り”損なう(ビオンBion,W.R.1970,p.9)」。

 

 


 ~痛みを感じることとそれを体験することとの間の移行期、すなわち境界状況に経験されると思われるある種の動きと痛みについて述べたい。何人かの患者はそれを彼らの目から見て、何とも言いようのないある種の特定な痛みだと説明する。その痛みの特質や性質は彼らにとってわかりやすいものではなく、しばしばその経験を分析家に伝えることはできないと感じる。それはほとんど肉体的なものに見えるかもしれないし喪失の感覚と結びついているかもしれないが、私たちが抑うつとして定義するものではない。不安の感情を含んでいるかもしれないが、不安の感覚と見ることはできない。それは患者が指摘しているように「痛み」である。私がここで論じたいのは、この見たところ定義不可能な現象である。~(心的平衡と心的変化・ベティ・ジョセフより)