うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

いつもと同じと、【“私は天国とか地獄とかについて考えたこともない。あったとしても、ふと心をよぎった(flying touch)だけでした”(New York:Signet Classics 1964,p.247)。】


今日は、夜勤でしたが、事務仕事が山積していて、朝から事務仕事して、隣市の市役所に行こうと出たのはいいのですが、祝日でした(笑)。
まりちゃんが休んでいたので、一緒に行っているのに(笑)、全然気づかづ、職員さんにも市役所に行って来ますと言ったのに(笑)、誰も祝日だと気付かなくて(笑)。
 曜日が関係ない仕事をしていると、こんなものですね!
 親分の新聞取材が入ったとか色々あり、事務仕事は何とか片付けましたが、皆さんが帰宅する時間になって夜勤に入りました。
皆さんが変わらなく生活できるためには、福岡先生が言われるように、変わらないために、変わり続ける必要があります。それは勉強し続けることでもあり、制度が変わったらすぐにそれに適応していくことであったり、色々ですが、スターンが言うように、慣れてしまうと飽きられるので、常に変化を加えていくことが出来なければ、きちんとした支援をし続けれることも出来ないのでしょうね!それは、大変なことでもありますが、やりがいもあります!
 いつもと同じ生活が出来る素晴らしさも、お互いの努力と成長があってのことだと思います。


 今日も早めに出て、ファミマで本を読みました。ギターは、休憩時、まり子さんがうたたねのギターを持ってきて弾けと(笑)のことで、ちょっと本気のギャロッピングを弾いてみました(笑)。
聞いてくれていた職員にも、これとこれはどちらが難しく聞こえますか?って聞いてみたら、自分的には簡単な派手な方が難しそうだと答えました。
 ロビー活動だけに力を入れて、自分を実力以上に大きく見せているだけの人間に人の関心が行ってしまうのは悲しいし、切ないことですが、分かり易いからでしょうか?人間本当に苦労を知らないと、そういう輩に騙されます(笑)。



 そろそろ気温ががくっと下がったので3回目の巡回に行って来ましたが、廊下は肌寒いですが、居室は暖房なしでも大丈夫なくらい、廊下から入ると温かかったです。みなさんきちんと布団と毛布をかけておられたので、30分事務所で休憩させて頂きます。
下記も、色々と考えさせられました。



 障がいの有無でなくても、生きていれば皆さん何等かの嫌な思いを引きずることもあります。その時に、下記のような、2つの活性化輪郭は、同じ生気情動を引き起こすのです。ということが防衛として起こらなければ、おそらくフロイトのいう死の欲動が勝ってしまう可能性も拭えませんね.......。

『彼女の思考の活性化輪郭は、彼女にある特定の身体知覚の活性化輪郭、つまりはかなさ(fleeting touch)を思い出させます。そしてそれら2つの活性化輪郭は、同じ生気情動を引き起こすのです。』








〜(思考、感情、行動の“;ほとばしりなどの)活性化輪郭は、どんな種類の行動や感性にも適用できますから、ある種の行動から抽象化することもできますし、また、目に見える別な形の行動や精神過程に適用可能なものとして、無様式のまま存在することもできます。するとこれらの抽象表象を用いることによって、さまざまな行動表現となって現れる類似の活性化輪郭間に様式相互の相関を形作ることが可能となります。このように、生気情動と呼ばれる感情特性を共有することで、きわめて多彩な事象が結びつき合うようになるのです。Defoeの小説“モル・フランダース”に見られる比喩の基礎となっているのは、この相関の1例と言えるかもしれません。主人公が犯罪者として一生を送り、最後に捕らえられ投獄された時、彼女は言います。“私は天国とか地獄とかについて考えたこともない。あったとしても、ふと心をよぎった(flying touch)だけでした”(New York:Signet Classics 1964,p.247)。彼女の思考の活性化輪郭は、彼女にある特定の身体知覚の活性化輪郭、つまりはかなさ(fleeting touch)を思い出させます。そしてそれら2つの活性化輪郭は、同じ生気情動を引き起こすのです。
 ここに示したような形で、もし幼い乳児が生気情動を体験するとすれば、乳児はモル・フランダースと類似の状況にいることになるでしょう。つまり、類似の活性化輪郭をもつバラエティに富んだ知覚体験が結びつき合うような状況です。しかもそれらは互いに相関するものとしてわあるいは形作られつつあるオーガナイゼーションとして体験されるのです。たとえば、両親が次のように言って乳児をなだめるとします。“ほら、ほら、ほら……。”その際、言葉の最初の部分をより強調し、強く、そして言葉の末尾に向けて引っ張るように言うかもしれません。あるいは、そうする代わりに、黙ったまま、“ほら、ほら”という繰り返しと同じように、はじめの方に力を入れ、だんだん終わりに近づくにつれて弱くなるように、乳児の背中や頭を撫でることもできるでしょう。その際、一撫でする時間や、間のとり方が、“ほとばしり、ほら”という発声−休止のパターンと絶対的にも相対的にも同じ時間配分であれば、なだめるのにどちらの方法が使われようと、乳児は類似の活性化輪郭を体験するでしょう。この2つのなだめ方は、(知覚の特異性を越えて)同じものとして感じられ、同じ生気情動として体験されるでしょう。〜