うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

一年早いですねと、【逆に、快い驚きと不快な驚きは、快楽的基調の次元では、互いに反対の末端に位置しますが、活性化次元では同じレベルにあります。】


 少し前から地元の中心部はクリスマスモードになっています。本当に一年があっという間に過ぎて行きます。今年は1月から色々あり緊急に介入したりしたので、前半は本当にあっという間に過ぎました。皮肉ではありませんが、一番必要な所に手が届いていないのが、福祉の制度だな〜と思った1年でもありました。それでも高齢者の方が、動きも早いし制度もしっかりしているな!とも思いました。それに比べたら障がい者の方は、まだまだですね.......。




 今日は、早番終了後、自分の受診に行って来ました。
喘息の薬など頂きに行きましたが、動脈硬化があるとの事で、やって頂きましたが、初めて年齢を下回る血管年齢がでました!
 一番最初はなんと、79歳........。それから、薬の処方もありましたが、ちょっとだけ(笑)努力してやっとこの数字に至りました!
継続は力なり!ですね。読書もギターもストレッチも時間をもぎ取ってでも(笑)、毎日やっています。
 まあ、不器用なので、人様の10倍は努力しないと普通になれないので、やるしかないです(笑)。





 今日も、ばたばたしていましたが、皆さんと触れ合っているだけで元気を頂きました!
裸の付き合いと言いますが、入浴介助や排せつ介助ほど、お互いが分かりあえる場面があるでしょうか?
 名だたる精神分析家は、臨床現場で一生を過ごしています。現場が分からないのに、支援が出来るのでしょうか?現場も見なくて、偉そうに言っている方々が不思議でしかたありません(笑)。




 小羊学園の理事長さんは、多忙を極めておられるのに、自分が勉強させて頂いていた期間は、夜勤者が休んだら現場に入っていました。
支援は現場ありきのはずですが、現場の声を無視する方々はそんなに自分の存在が欲しいのでしょうか?と毎日大声で笑ってしまいます。
炎上必至ですね(笑)
 現場程楽しい、仕事はありません!





 早番でしたが、早めに行き、ルーチンになっているファミマでの読書をしてから、現場に入りました。
受診待ちにも沢山読めました。3冊目のスターンは後三分の一になっています。11月中には読み終わりそうです。



 下記は、現場でも使えそうですね。非外傷的なフラストレーションを進行の中に少しずつ入れて、リトル先生が言っていた、まずは身体記憶的な所に作用させていけば、本当に効果が現れます。それは、精神分析でもないし、行動療法でもないし、その逆でもあるような気がします。支援者も、支援が難しい方々の支援を直接していないと、身体記憶に残らないので、所詮人ごとで終わってしまいますよね?
 無意識の裡に、身体記憶として残せれば完璧だと思われますが、それをできるのは、毎日その方と真剣に向き合わないと出来ないことでもあります。だから現場を馬鹿にしたり、無視したりする輩を笑ってしまうわけです。
 『逆に、快い驚きと不快な驚きは、快楽的基調の次元では、互いに反対の末端に位置しますが、活性化次元では同じレベルにあります。』




原注7)幸せとか悲しみなどといった情動カテゴリーは、つねに、快か不快かのどちらかですが、驚きなどの情動カテゴリーには、いろいろな程度があります。一般に、体験の次元として活性化と快楽基調があり、その次元に沿って情動カテゴリーが体験されると考えられています。たとえばであふれんばかりの喜びは、幸せという情動カテゴリーの中で、その活性化次元の高い方の末端で体験されます。それに対し、感想的な歓喜も、幸福というカテゴリーに属していますが、活性化の低い方の末端で体験されます。ただ、このどちらの感情も快楽的基調に沿えば同じように快として判定されるでしょう。逆に、快い驚きと不快な驚きは、快楽的基調の次元では、互いに反対の末端に位置しますが、活性化次元では同じレベルにあります。情動カテゴリーを位置づけると考えられる次元は、この他にもあります(Arnold 1970;Dahland Stengel1978;Plutchik 1980参照)。