うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アケビと、【私たちは大抵情動を、連続性を欠く不連続なカテゴリーとしてとらえます。たとえば、幸せ、悲しみ、恐れ、怒り、嫌気、驚き、興味、恥、あるいはそれらの組み合わせです。】


 昨日、まりちゃんが、アケビをもらってきましたが、先輩たちは、子どもの頃は美味しいと思っていたが、どんどん美味しいフルーツが出て来たので、食べなくなったな〜と言っていました。
 一応(笑)大阪生まれ、大阪育ちの身としては、アケビを自然界で見たことがなかったので、味を想像すらできませんが、食べる勇気もなく(笑)、どうしましょうか?とりあえず写真を撮れとの、親分命令で写しました。
 確かに良い色しています。
 そういえば最近、蔵王山に行くと、むかごやアケビを採っている人を良く見ますね。





 今日は、シフトでは休みでしたが、弱い時間帯があったのでその時間と、ケース会議に出て、ケース会議の終わりが16時なので、入浴介助を手伝っていたら、結局しっかり働いていました(笑)。



 本は、早めに出てファミマで読みました。
スターンを読み進んでいくと、なぜか?神田橋先生を思い出すのは、気のせいでしょうか?個人的に凄くオーバーラップしてきます。






生気情動
 私たちは大抵情動を、連続性を欠く不連続なカテゴリーとしてとらえます。たとえば、幸せ、悲しみ、恐れ、怒り、嫌気、驚き、興味、恥、あるいはそれらの組み合わせです。Darwinは、こうした個々の情動が、生得的、不連続な顔の表情と独特な感情特性をもち、その生得的パターンは種の保存を強化するために、すべてのメンバーによって“理解される”社会的信号として発達してきたと仮定したことで、偉大な貢献をしました(1892)。また一般に情動の不連続なカテゴリーは、少なくとも2つの、衆目の一致した次元、つまり活性化activationと快楽基調hedonic toneに沿って体験されると考えられています。活性化は、感情特性の強さと緊急性の量を表し、快楽的基調は、感情特性の快と不快の程度を意味しています。 生気情動は、こうした従来の情動理論にうまくあてはまらないため、別の名前が必要です。とはいえ、生気情動も感情であることにはまちがいなく、情動体験の領域内にあります。怒り、喜び、悲しみなどといった、Darwinの学説に従う従来のカテゴリー性の情動と区別するために、それらを仮に生気情動と呼ぶことにします。 生気情動は、カテゴリー性の情動があってもなくても起こります。たとえば、怒りや喜びの“ほとばしり”、知覚される光の氾濫、加速度的に起こる思考連鎖、音楽により誘発される測定不可能な感情の波、麻薬のワンショットなどはすべて、“ほとばしり”のように感じられます。それらは神経系の異なった部分に起こるとはいえ、すべて神経発火という同類の外皮を共有しています。これらと類似の変化として感じられる特性が、“ほとばしり”という生気情動と私たちが呼ぶものです。