午後からは雨が上がりましたが、晴れたり曇ったり....。でもそれが空を美しくしてくれました!
夕方、何人か入浴介助してから、まさくんの散歩に行きました。
まだ、空がきれいでした!
散歩から戻ったら、今夜は、豪華なディナー!
みなさん、美味しい!とか、うまい!とか言っていました。帰宅しようとしていたら、またまた、まりちゃんがツイストを要求して来たので、今日はギターでブギやシャッフルを指弾きしました。
女性職員がCDに録音したら?って言って来ましたが、簡単なのでやってみます(笑)。MTR内臓のドラムマシーンをつければ、ばっちりですね!
今日もねこさんは、帰って来ません......。母親の死に方が死に方だったので、何かを失うと言う事に対して、非常に敏感なので辛いですね.......。
生き物は飼いたくないのが本音ですが、ねこさんと、ひーひー王子が自分より先輩なので仕方ないですね....。
本は、前回のアップのように雨が落ち着くまで、うたたね横のファミマで読みました。
帰宅して寝ようと思ったら、電話で相談されたり、お巡りさんが住民調査で回って来たり(笑)、諦めて自転車を置いて来たので、早めに歩いて行きました。夜勤明けなのに、16,000歩歩きました......。でも、身体が温まって良い感じです。
下記は、丸田先生の本で、分かり易く書いていました。
RIGsの考え方と見ていいのでしょうか?RIGが纏まって一つずつの表象を統合して行く(ちょっと表現がちがうな〜)。
フロイトのいう、口唇期や肛門期の諸問題は、一つずつではなくて、重なり合って同じ水準で作動しているということでしょうか?
それをオーガナイズするのが、自己感でしょうか?この辺を理解できれば、スターンが理解できそうな気もしますが、個人的には、ちょっと難しい個所でもあります。
〜この最後に述べた点から、さらに一般的な結論が導かれます。つまり私としては、口唇性、愛着、自律、自立、あるいは信頼など、特定の臨床問題が特定の発達段階と密接に結びついているという考え方自体に疑問符を覚えます。これまで乳幼児の特定な時期における発達課題そのものみなされてきた臨床問題を、この本では、一生涯のものとみなしていきます。言い換えれば、それらは人生のある発達段階に限られた問題というより、発達上のどの時点でも本質的には同じ水準で作動していると考えるわけです。
そうなるともはや、乳児の社会的“存在”とか“感覚”などにおける量的変化は、ある特定の発達課題をもつ段階を巣立ち、次の段階へと突入しため出逢いとはいえなくなります。むしろ、乳児の新しい自己感の獲得が、社会的体験における発達上の大きな変化を起こすのです。ここに述べる作業理論で自己感にかなり重きがおかれるのは以上がような理由によります。つまり自己感は、社会的体験をオーガナイズする最も基本的な主観的見通しとしての役割を果たしているのです。早期の社会的発達を支配する現状として自己感を論議の中心に据えるのは、まさにそのためです。〜