今日は、名古屋まで車で行って来ました。
早朝に起きたので、朝焼けを見る事ができました!
アレクサンダー・テクニークを受けて来ましたが、毎月、聖書の言葉を添えた作品が素敵なので、これだけでも名古屋に行った甲斐があります。今月は質素ですが、その分言葉が浸み込んで来ました。
自分は参加しませんが、日中の事業所の個別支援計画の会議が2名あるので、資料を作れと言われて作ったのは良いのですが、印刷していなかったので、名古屋から戻って直ぐに事務所に行きました。今日は、人員配置が厚かったので、帰宅しました。
10月ももう少しです!車で行ったので、本が読めませんでした.....。10月中には、2冊目のスターンは読めそうにもありませんが、焦っても内容が、中に入ってこないので、じっくり読ませせて頂きます。
アップは、もう少しだけ復習です。
下記は、日常生活の重要性を説いてくれているように感じました。
記憶に残りやすいのは、非日常的な事だったらり、イレギュラーなことだったりですが、心の奥深くまで浸透させるのには、繰り返し・繰り返しが必要ですね!支援も全く同じだと思われます。毎日・毎日、繰り返し・繰り返しで、少しずつ変化を加えていかなくてはいけません。
『お決まりの日常の出来事は、生気ある生活の活動、すなわち、食べたり、眠ったり、遊んだりすることの周辺に集まっている。たとえ平凡ではあってもこうしたことは、身体的かつ心理的にきわめて重要である。』
1.乳幼児の表象の主要な特徴
〜第2にわれわれは、めったに繰り返されない体験よりも繰り返しの体験、つまり赤ちゃんと両親の平凡な日常の相互作用体験に、多く関わることになるであろう。お決まりの日常の出来事は、生気ある生活の活動、すなわち、食べたり、眠ったり、遊んだりすることの周辺に集まっている。たとえ平凡ではあってもこうしたことは、身体的かつ心理的にきわめて重要である。これは、後になって成人が自分の幼少期について語るときによく出会うような、臨床的に関心のある体験である(たとえば、父親と一緒家何かをするときにどんな感じがしたか)。このような体験には、繰り返し曝されるという特徴があって、それが非常に重要である。なぜなら、乳幼児が徐々に表象を構築していけるのは、この繰り返しがあるためであって、そのようにして構築された表象が、後に一般化されて原型的な出来事となる。〜
〜私の予想では、このような表象は、誰かとの相互作用の体験から構築される。その意味で、表象を構築するものは物体(人やその他のもの))、イメージや、知識に関するものではなく、相互作用の体験についてのものである。幻想や加工や追加は、後修正によるものと思われる。〜