うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

投げ環の試験wと、ゆうちゃんの切ったり貼ったりと、【歴史と言葉は、われわれが知覚するもの、触れたり見たり聞いたりして識別するものを、完全に決定するように思われる(Gendlin,1992,pp.341−342)。】


 男性職員が、今度の日曜日にある、市民館祭り用の輪投げを作ってくれましたので、いのうえっちとやってみましたが、改良が必要でした(笑)。どこからこんな良い箱を見つけて来たのでしょうか?ちょっとびっくりです(笑)。




 ゆうちゃんが朝夕している、鋏で切ったりセロテープで貼ったりは、きちんと残していれば、アールブリュット通の方々のお気に入りになりそうな物に仕上がりそうですが、自分たちはあまり手を掛けるのが好きではないので、彼が残したいと思ったら、そうしていきたいと思っています。好きなことがある方は、障がいの有無関係なく、幸せそうです!






 今日は早番でしたが、中抜けさせていただき、喘息の薬がなくなったので貰いに行って来ました。
受診待ちに時間がかかった?ので(変な文章w)、沢山読んだり、復習したりできました。
 お昼はどこで食べたっけ?そうだ(笑)、副理事長さんが、碧南から来てくれたので、めっくんハウスのかつさとさんでカツ丼を頂きました。夕方、今日も忙しくて、慣れない職員さんもおられ、少しバタバタしてしまい(笑)、お昼を思い出すのに時間が掛りました。ただ、認知症に近づいているだけでしょうか(笑)。副理事長さんは、元市議なので、色々なアドバイスをして頂け本当に助かりますし、暴走気味の自分にとってのブレーキであり、ブレーンでもあります。
 慣れない方々も、凄く動いて下さるので、本当に女性職員達が喜んでいます。







 下記の2つは、神田橋先生の、言語有害論を思い出しました。
 『人間は言葉と概念と歴史に全面的に依存していると、多くの人が結論づけている。人間の獣性(human animal)は何も残らないようだ。Foucault(1977)はこのことを、われわれのかつての動物の身体は歴史によって“完全に破壊された”』 

 『人間がかかわる行為は、行為でさえ、その中にあるいは背後に、文化的な考え方や言語を含んでいるように思われる。』



 下記は、自分が最近色々な理論の現時点での結論が、全て同じように感じる原因なのかな?と、偉そうに思いました(笑)。
 『しかし最近では、両極は互いに歩み寄ってきている。精神分析は思考基調から行為を受け入れる方向に動き、行動学と行動主義心理学は行為基調から表象を受け入れる方向へ動いている。』






 人間の行動を理解するのに、行為を中心におくことに対抗する、強い知的な潮流がある。Eugene Gendlinがこの問題について、次のように述べている。  「人間は言葉と概念と歴史に全面的に依存していると、多くの人が結論づけている。人間の獣性(human animal)は何も残らないようだ。Foucault(1977)はこのことを、われわれのかつての動物の身体は歴史によって“完全に破壊された”」と述べている。歴史と言葉は、われわれが知覚するもの、触れたり見たり聞いたりして識別するものを、完全に決定するように思われる(Gendlin,1992,pp.341−342)。 人間がかかわる行為は、行為でさえ、その中にあるいは背後に、文化的な考え方や言語を含んでいるように思われる。これは発達が進むにつれて増していくのであろうが、われわれが関心を向けている年齢では、それは部分的なものにとどまっているように〜
〜行動学と行動主義心理学では、これと反対の傾向が以前から支配的であり、行為の心的表象を締め出す考えが多かった。しかし最近では、両極は互いに歩み寄ってきている。精神分析は思考基調から行為を受け入れる方向に動き、行動学と行動主義心理学は行為基調から表象を受け入れる方向へ動いている。