うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

芒と、【母親が赤ちゃんの世界――睡眠や空腹のサイクルーーを組織化している一方で、赤ちゃんは母親が自身の表象世界を再組織化するのを助けている。】


 雨が降ったり、止んだり.....。ひーひー王子の散歩も、お天気を見ながらしてきました。
今日は珍しく休みです!朝はファミマで本を読み(復習しています)、午後からは、久し振りにジムで、身体を追い込んで来ました!


 今からは、ギターを弾きまくります(笑)。ちょっと残った事務仕事が終わってからですが.......。 


 台風......。もういいですね........。



 喪失感というのは、何かをなくした時だけでなく、世界が変化した時にも、以前がなくなるという文脈では、新しいことに目は向いてはいても、古い物をなくしてしまった(下記の言葉を借りるとすれば、たとえ錯覚でも)感覚が、喪失と感じるかも知れないので、そちらの方が心的に大きな比重があれば、喪失感になってしまうのですね。逆もまた真なりですね。だから、一つの技法だけに拘るのはリスキーなのかも知れません。

 『一つの世界(たとえその一部は錯覚であるとしても)が行ってしまったのである。世界を獲得した感覚の下には、しばしば深い喪失感が流れている。何人かの臨床家は、この悲しみについてこれが健常な出産後抑うつの一因となるかもしれないと述べている(Manzano & Palacio−Espasa,1990)。』



 下記は、やり過ぎはいけないと言っている気がしました。現場では、あくまで小文字の母親を演じるべきで、何かあった時に中文字の母親になれば、大抵のことはうまく解決できると思われます。
 『母親の母親が再び娘に対して母親の役割を取るという、出産後の恵まれた期間のせいで、この基本的な役割の再評価が遅れることがある。』






第2章 親の表象世界
2.母親の「共にあるスキーマ」にネットワーク
2)母親自身についてのスキーマ
 〜母親が赤ちゃんの世界――睡眠や空腹のサイクルーーを組織化している一方で、赤ちゃんは母親が自身の表象世界を再組織化するのを助けている。赤ちゃんに彼女を母親らしくさせ、母親自身にとっての新しいスキーマのネットワークを構築させているのである(Lebovici,1988)。 それによって母親は、女性として、妻として、職業人として、友達として、娘として、孫娘としての自己、または社会における自分の役割、生まれた家族の中での自分の場所、法的地位、他の誰かとの人生と成長にとって基本的な責任をもつ人物としての自分自身、異なる体の所有者として、進化の壮大な体系に属する創造者、演技者としての自分自身など――つまり、母親の人生のほとんど全ての側面が再構築されるのである。こうしたあらゆるネットワークは出産後の厳しい試練に放り込まれて、再び作り直されるかもしれない。それは第2子や第3子にも再び起こるであろうが、それほど強いものではなく、通常は表象世界はそれほど変化しない。〜
 新しい母親は、これまでしたい時にいつでも修復したり、訂正したり、子ども時代を書き直したり、あるいはそこへ立ち戻ったりしながら、長い間守ってきた幻想のあらかたを、手放さなければならない。今や母親の少女時代に両親との関係で起こった失敗や、失望や、手抜かりは、全て過去の歴史として永遠に固定されることになる。過去を修復することは今後もできるかもしれないが、少女としては二度とできない。一つの世界(たとえその一部は錯覚であるとしても)が行ってしまったのである。世界を獲得した感覚の下には、しばしば深い喪失感が流れている。何人かの臨床家は、この悲しみについてこれが健常な出産後抑うつの一因となるかもしれないと述べている(Manzano & Palacio−Espasa,1990)。 母親の母親が再び娘に対して母親の役割を取るという、出産後の恵まれた期間のせいで、この基本的な役割の再評価が遅れることがある。これによって過去の関係が修復できることもある。しかし、そういう好機はそうあるものではない。