うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日の夜勤と、【診断的にいえば、乳幼児は神経症でも境界例でも精神病でもない。では“健常”なのか?乳幼児はそれがなんであれ、乳幼児の心(psyche)をもっているのである(DSMやIODやその他のシステムは、3歳以下の乳幼児の診断にはほとんど役に立たない)。】


 昨日の夜勤は、人数が少なかったですが、いのうえっちが頑張って盛り上げてくれていました!
ギターの反応が悪くなってきたので、きちんとした構え方を伝授しました(笑)。
 背が高いので、ちょっと羨ましい......。


 ショートの方に初お化け屋敷!
楽しそうに見えました!

 ホームの女子達は、きゃーきゃー言いながらも、愉しそうでした!
いのうえっち、お疲れ様でした!


大きな台風が来ています。最小限の被害で済むように、祈るしか術はありません。




 自分たちが向き合っている方々も下記のように診断基準が使えません。一人ずつ診断基準があるといっても過言ではないと思われます。
真剣に向き合っていないと(笑)、大まかな診断基準的な枠にはめてしまっているかもです。基底欠損水準という大まかな枠がありますが、大まか過ぎるので、もう少し狭い範囲を考えながら支援方法を考えています。
  『診断的にいえば、乳幼児は神経症でも境界例でも精神病でもない。では“健常”なのか?乳幼児はそれがなんであれ、乳幼児の心(psyche)をもっているのである(DSMやIODやその他のシステムは、3歳以下の乳幼児の診断にはほとんど役に立たない)。』 


 下記の3つは支援方法に大きなヒントをくれました。
 『その中心的な機能は、変化や成熟や発達や成長を促すことである。この変化させるエンジンは、治療があってもなくても作動する。治療はこのような環境条件の中で始まるのである。』

 『この特殊な心の編成が母親を“患者”にするのであり、それは他の種類の患者向けに作られた治療のレンズを通して適正に見ることのできない患者である。』

 『親と乳幼児の関係はもっぱら非言語的で、多分に前象徴的に形成されている。したがって病理はこうした前言語的交流から生じている。この事実をどう理解し、どう関わったらよいだろうか?』





 1.初めて出会うこの新しい“患者”は一人の人ではなくて、関係性であるーー赤ん坊と両親という、非対称の関係性であるが。この関係性は両親側のきわめて豊富な過去の歴史の影響を受けており、一方乳幼児側の影響は迅速に蓄積されてはいくが、まだきわめて僅かなものである。このような文脈の中での“関係性の障害”とはどのようなものなのかは、まだはっきりしていない(Sameroff & Emde,1989)。
2.乳幼児の心理的特質がどの程度、両親のイマジネーション(願望、怖れ、属性など)によって構成されるのかは、まだわかっていない。

3.診断的にいえば、乳幼児は神経症でも境界例でも精神病でもない。では“健常”なのか?乳幼児はそれがなんであれ、乳幼児の心(psyche)をもっているのである(DSMやIODやその他のシステムは、3歳以下の乳幼児の診断にはほとんど役に立たない)。
4.両親の大部分は心理的に“健常”である。もし両親に診断名がついたとしても、それは二次的、間接的な変数にすぎない。両親は自分たちが病気なのだとは思わず、問題を抱えているのだと思っていることが多い。彼らは精神科医臨床心理士精神分析家に自ら会おうとはしないものである。医療機関から紹介する場合には、精神疾患という烙印をおさないように入り込んしなければならない。
5.にもかかわらず、母親(多分父親も)は、後に、私が母性のコンステレーション(mother constellation)と呼ぶような、特殊な心理的条件をもっていることは事実である。これは乳幼児を世話するという現実に適応するのにふさわしいユニークな心的生活の編成(organization)である。この特殊な心の編成が母親を“患者”にするのであり、それは他の種類の患者向けに作られた治療のレンズを通して適正に見ることのできない患者である。

6.乳幼児とその両親は、健常な初期の発達という、人間の変化の過程として最も大きく最も急速な過渡期の混乱の中にいる。しかも、これは単に重要な“危機”なのではなく、今後に変化をもたらしていける可能性を含んでいる。その中心的な機能は、変化や成熟や発達や成長を促すことである。この変化させるエンジンは、治療があってもなくても作動する。治療はこのような環境条件の中で始まるのである。

7.起こっている問題をどう位置づけ、どのように同定するかは、なかなか分からなかったり、変動したりするが、親は大人の関係性の中では見られないほど、乳幼児がそういう子であることに重い責任のようなものを感じている。したがって、この状況では、親は通常とは異なった責任を感じ、通常とは異なる防衛をしている。
8.親と乳幼児の関係はもっぱら非言語的で、多分に前象徴的に形成されている。したがって病理はこうした前言語的交流から生じている。この事実をどう理解し、どう関わったらよいだろうか?