うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

バンドクラブと、アトリエ・カーグと、【この脆弱で断片化しやすい自己が、性感帯の刺激によって、防衛的に快楽目標に救いを求め、その結果、二次的に、口唇期的(あるいは肛門期的)欲動志向性と、刺激を受けた身体部位に呼応する欲動目標への、自我の隷属が起こる】



 今回は、絵画とバンドが逆の時間帯になりました。
来月からは、正常に戻りますので、よろしくお願い致します。
 バンドの方は、時間を勘違いされた方もいて、申し訳ありませんでした。
場所も狭いので、ちょうどいいかな?って思っていたら、9名の参加とおっちゃんで、結構、熱気むんむんでした。



 まあちゃんのピアニカの前に、マイクを置いてみました。
自分は、後ろでギターを弾かせて頂いているので、ピアニカの音がよく聞こえますが、前にいる方々には、全く聞こえないとのことで、親分が置きました。
 しっかりとした音です!







 絵画の方は5名の参加でしたが、その分、皆さん集中していい作品が描けたと、親分から写メが来ました。
おかもちゃんは、二枚描いたのですね!
 ゆうちゃんの金魚も素敵ですね!

 ゆうこちゃんは、何を見て描かれたのでしょうか?
まつおさんとか、なおき君の写真もありませんでした。
 あれば、またアップさせて頂きますね!
バンドの方も、全員写ってませんが.......。




 本は、早朝に車を置きに行って、時間まで読み、後1章を残すのみとなりました。


 有機肥料と言いますが、植物が吸収するには、無機質にならないと吸収できないので、有機という言葉だけで納得するのは(笑)、物事を奥まで見ていないと(笑)思ってしまいます。
無機肥料と言わないのは、化学的な成分の即効性は、無機質だから、無機肥料と言えないのでしょうか?言葉というのは、本当に難しく、言語有害論というのもあながち間違いではないような気がしてきました(笑)。

 自己心理学というのは、偽りの自己や第二の皮膚をなくすのを、中心に考えているのでは?それをなくすために(改善するように)する術なのでは?と思い始めてきました。




 色々と、無駄なことを書きたいなと(笑)思っていましたが、夜勤に戻ります。







2)欲動理論と自己心理学
  自己全体の体験としての歓喜joyと、欲動理論における快楽pleasureとの間に明確な区別をつけることからも容易に推測されるように、Kohutは自己の病理を古典的メタサイコロジーで理解することはできない、と断定します。

 「医学教育を受けた読者に最も分かりやすい比較をすれば、古典的メタサイコロジーで自己の障害のアプローチするのは、無機化学の枠内で、正常あるいは病気の人間の生理の複雑さを説明しようとするようなものである」(p.71)。

 したがって、自己愛障害の患者の病理に、古典的メタサイコロジーによる定式化をもって望む治療者は、ことごとく共感性を欠いているように見えるか、でなければ、その知的・教育的な姿勢が、治療者への全般的なgross同一化を誘発し、一見成熟したように見えながらも実は防衛的な構造の形成を招きます。  

 「私の臨床経験によれば……発生論的に見て原点となり、力動・構造論で核心を占める精神病理は、欲動の固着でもなければ自我の広範囲な欠陥でもない。それは子どもの自己――両親の共感的反応がひどく障害されていたため確立しそびれた自己である。この脆弱で断片化しやすい自己が、性感帯の刺激によって、防衛的に快楽目標に救いを求め、その結果、二次的に、口唇期的(あるいは肛門期的)欲動志向性と、刺激を受けた身体部位に呼応する欲動目標への、自我の隷属が起こる(p.74)。