うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

稲刈りと、ウクレレと、オセロと、【この関係を全般的に重苦しいと感じ、躊躇なき専制と横暴で分析医をコントロールしようとする患者に、つい反抗的になってしまう傾向にあるこの関係を全般的に重苦しいと感じ、躊躇なき専制と横暴で分析医をコントロールしようとする患者に、つい反抗的になってしまう傾向にある】



 近場では、ほぼ稲刈りが終わっています。
こちらは、藁を取る為に、いつも手で刈られているものです。大変ですね。




 前回は、休んだ方の代わりの夜勤でしたが、今日はシフト通りの夜勤です。
たくちゃんや、いのうえっちが楽器を持っているのは、当たり前になってしまいましたが、女子からうるさい!とシュプレヒコールを浴びながらも(笑)続けている姿に、ロックを感じています!
 弦への指の当て方は、本当に慣れてきましたね。必要以上に力が入らなくなってきています。継続は力ですし、目の前に音が出るのもがあれば、ついつい触ってしまうと言うのが、ミュージシャンである証の様にさえ感じる今日この頃です。
本当に音楽が好きなら、自然と触っていますね。

 今日は、お客さんなどがあり、少しバタバタしていましたが、いのうえっちが、おっちゃんにオセロ対決を申し込んできたので(笑)、受けて立ちました(笑)。
引き分けになるように、やっていて、滞りなく終わって、引き分けだね!って、終わろうとしたら、横で洗濯物を一緒にたたんでくれていたまりちゃんが、数えるって........。
 結局、まり子さんのジャッジでは、いのうえっち26枚、おっちゃん34枚(これって数があってるのかな?)で、おっちゃんの勝ち!って(笑)。女子は中々シビア.........。



 今日は、夜勤だったので、やらないといけない事務仕事がありましたが(笑)午前中はジムに行き、汗を流してきました。
本は、ジムが開くまでと、昼食時にファミマで(違う意味でコンビニ人間W)、たくさん読めました。



 アップは、少し前に読んだ箇所です。

 現場で職員が疲れてしまうのは、逆転移の処理をうまく出来ないからというのが多いように思われます。
虐待と言うと、支援者からや、養育者からと言われがちですが、反対もよくあります。高齢者の方の現場では、最近よく取り上げられていますね。
 性的なことは、難しくて、複数での行動になり、金銭が絡んできそうですが、精神的な方は、うまくスル―するには、世渡りとか(笑)、精神分析的な勉強をするとかしないと、自分の中で解決できませんね。
一人で抱えずに、チームで考えていければ、少しは軽減できる気もします。一人では何もできませんからね。特に自分はむりですね。




 下記のような状態になる前に、チームで対処していければいいですね。
 相模原での事件は、逆転移でしょうか?投影なのでしょうか?
『この関係を全般的に重苦しいと感じ、躊躇なき専制と横暴で分析医をコントロールしようとする患者に、つい反抗的になってしまう傾向にある』






5.鏡転移
 「[融合転移において]分析医は、誇大自己の延長として体験される。また、分析医は、被分析者の誇大自己の構築性と顕示欲の担い手、そして、活性化された自己愛的構造の出現によって引き出される葛藤、緊張、防衛の担い手となった場合のみ、言及される。メタサイコロジーの用語でいえば、治療者とのこの関係は、(一次的)同一性の一種である。社会学(あるいは社会・生物学)的観点から言えばそれは、融合(あるいは共生)と呼べる。ただここで心に止めておかなくてはならないのは、その融合が、(理想化転移において渇望されまた一時的に確立される)理想化された対象との融合ではない点である。それは、誇大自己の体験である。誇大自己はまず、退行的にその境界をあいまいにして分析医を包含し、境界の拡張が確立したところで、この新しく包括的な構造がもつ相対的な安定性を、治療上の課題の達成のために利用する(p.114)。

 この関係において分析医は、被分析者の自己の一部としてとらえられています。そして、人が自分の心や体に対しコントロールが効くのを当然のごとく期待するように、被分析者は分析医の完全に従属を要求します。ですから、融合転移の渦中にある分析医は、 
 「この関係を全般的に重苦しいと感じ、躊躇なき専制と横暴で分析医をコントロールしようとする患者に、つい反抗的になってしまう傾向にある」(p.115)。〜