うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

彦坂先生のストレッチ教室と、【その延長で死に行く人が求めるのも、まさにこの(同じ人間という)分身として自分を理解し受け入れてくれる自己対象です。そうした自己対象を失う時、自己愛の問題が浮かび上がってきます。】

 
 今日は、ストレッチ教室があったようで、写メが送られてきました!
毎回されて居られる方々は、流れが理解できていて、スムーズに動かれています。まだまだ、身体が硬いですが、それも、毎日やらないと、中々柔らかくなりませんね.....。

 今日は、夜勤明けで、神戸館さんに寄らせて頂いてから帰宅しましたが、珍しく眠たくて、夕方まで寝てしまいました(笑)
おかげで体がすっきりして、ギターの難しい箇所が、少しだけ(笑)スムーズになりました!
 柔軟体操と、ギターと、読書は、毎日、時間を見つけてさせて頂いています。

 明日は、少人数ですが、外食の予定になっていました。新しい職員さんもおられるので、皆さんの別の面も見ていた出蹴ると思われます。





 〜分身転移(の元になる関係)の一番いい例は、映画ETの主人公エリオットとETとの関係でしょう。両親の離婚で自分の家庭(ホーム)を失った少年エリオットと、地球に1人残され「ホーム」への帰還を求める宇宙人ETは、互いの中に迷子になった自分を見つけて接近します。そして、映画の展開とともに関係が深まり、ついには、ETが家にいてビールを飲むとエリオットが学校で酔っぱらい、ETがロマンチックな映画を見て興奮するとエリオットは前から好きだった少女にキスをしてしまうまでになる。文字通り「分身」です。 言葉の通じない外国から母国に戻った時の感じもそれに近いかもしれません。同じ言葉を話し、習慣が同じで顔付き体つきの人々ーーそうした人々に囲まれて暮らすことがいかに重要であるかが分かるのは、それを奪われた時です。その延長で死に行く人が求めるのも、まさにこの(同じ人間という)分身として自分を理解し受け入れてくれる自己対象です。そうした自己対象を失う時、自己愛の問題が浮かび上がってきます(第9章の症例参照)。 以上述べた自己ー自己対象関係がKohut理論の中心です。その理論をKohutは、『自己の分析』(1971),『自己の修復』(1978),『分析的治癒の機序』(1981)の三部作を通して展開しました。その13年の間に、Kohut理論はかなりの変化を遂げました。〜