うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

庚申信仰と、【疑似性治療同盟の下で患者が獲得するものは、治療者という新しい重要な他者への病的融通性 pathological accommodationに過ぎない。】






 目黒に行った時に、途中で庚申という文字が目に入り、気になって用事が済んだら走って見に行きました(笑)。
京都時代に、何かの序でに庚申信仰を調べていたことが思い出されたのでしょうか?
 民間信仰の割に、立派な石像ばかりでした。

庚申信仰ウィキペディアより
庚申信仰青面金剛を本尊とし、このような掛軸画も多数作られた。この画では中央に青面金剛を描き、上に日月、左右に猿、下に鶏を配している。現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教神道修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。

庚申
 庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支(かんし、えと)、すなわち十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つである。 陰陽五行説では、十干の庚は陽の金、十二支の申は陽の金で、比和(同気が重なる)とされている。干支であるので、年(西暦年を60で割り切れる年)を始め、月(西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の7月)、さらに日(60日ごと)がそれぞれに相当する。庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。
 この庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰があり、日本には古く上代に体系的ではないが移入されたとされている。

歴史
 『入唐求法巡礼行記』838年(承和5年)11月26日の条に〈夜、人みな睡らず。本国正月庚中の夜と同じ〉とあり、おそらく8世紀末には「守庚申(しゅこうしん)」と呼ばれる行事が始まっていたと思われる。すなわち守庚申とは、庚申の夜には謹慎して眠らずに過ごすという行いである。
 平安時代の貴族社会においては、この夜を過ごす際に、碁・詩歌・管弦の遊びを催す「庚申御遊(こうしんぎょゆう)」と称する宴をはるのが貴族の習いであった。9世紀末から10世紀の頃には、庚申の御遊は恒例化していたらしい。やがて時には酒なども振る舞われるようになり、庚申本来の趣旨からは外れた遊興的な要素が強くなったようである。鎌倉時代から室町時代になると、この風習は上層武士階級へと拡がりを見せるようになった。『吾妻鏡』(鎌倉幕府の記録書)にも守庚申の記事が散見される。また資料としてはやや不適切かとも思われるが、『柏崎物語』によると織田信長を始め、柴田勝家重臣20余人が揃って庚申の酒席を行ったとある。さらに度々途中で厠に立った明智光秀を鎗を持って追いかけ、「いかにきんかん頭、なぜ中座したか」と責めたともある。
 やがて守庚申は、庚申待(こうしんまち)と名を変え、一般の夜待と同じように会食談義を行って徹宵する風習として伝わった。庚申待とは、“庚申祭”あるいは“庚申を守る”の訛ったものとか、当時流行していた“日待・月待”といった行事と同じく、夜明かしで神仏を祀ることから「待」といったのではないかと推測される(いにしえのカミ祀りは夜に行うものであった)。
 庚申待が一般に広まったのがいつ頃かは不明だが、15世紀の後半になると、守庚申の際の勤行や功徳を説いた『庚申縁起』が僧侶の手で作られ、庚申信仰は仏教と結びついた。仏教と結びついた信仰では、諸仏が本尊視され始めることになり、行いを共にする「庚申講」が組織され、講の成果として「庚申塔」の前身にあたる「庚申板碑」が造立され出した。また「日吉(ひえ)山王信仰」とも習合することにより、室町時代の後期から建立が始まる「庚申(供養)塔」や「碑」には、「申待(さるまち)」と記したり、山王の神使である猿を描くものが著しくなる。
 このように、本来の庚申信仰は、神仏習合の流れの中で、猿を共通項にした新たな信仰へと変化していることが伺われる。つまり、神なり仏なりを供養することで禍から逃れ、現世利益を得ようとするものである。やがては宮中でも、庚申の本尊を祀るという形へと変化が見られるようになった。
 仏教式の庚申信仰が一般に流布した江戸時代は、庚申信仰史上最も多彩かつ盛んな時期となった。大正時代以降は急速にその信仰が失われた。 とはいえ、この夜慎ましくして眠らずに過ごすという概念は、比較的よく受け継がれている。また男女同床せぬとか、結婚を禁ずるとか、この日結ばれてできた子供に盗人の性格があると恐れられたりする因習もある。また地域によっては、同志相寄って催す講も続けられている。それらは互助機関として機能したり、さらには村の常会として利用されたりすることもある。




 今日は、久し振りの何も用事のない休日でしたが、給与計算が待っていたので、計算だけ済ませました。
処遇改善などの作業が増え、時間が以前より掛っていますが、慣れれば直ぐに出来ようになると思います。
 後は、源泉徴収などの計算をして、打ち込んで、明細を作って、会計事務所に送るだけです。まあ、今日はこれぐらいにしといたります(笑)。

 本は、9時に近くのファミマのイートインで、読みました。40分くらいでしたが、集中したら結構進みますね!復習でしたが(笑)。
 ギターは、結構弾きました(笑)




 下記は、現場で自分の評価をあげようと、利用者さん達に自分のデマンドばかり押し付けている職員に警告?を発しているように思いました。障がいをお持ちの方々は、従順な方が多いので、一方的な支援を簡単に受けてしまいがちなので、強引な支援者のままになってしまう事が多いので、本当に気を付けないといけないし、自分しかその方が見れないということを自慢したいがために、自分の物のように扱う職員もいたる施設で見ます......。
 以前も書きましたが、医学では何かおかしな方向に向かってしまうと、ヒポクラテスに戻れ!と言うらしいですが、福祉の現場では、個人的には、ウィニコットに戻れ!と言いたいですね。H,S,サリヴァンも理念としては最高だと思っています。 







 〜その意味では、自分をスーパーバイジーの立場に置いてみると分かりやすい。もしスーパーバイジーとしての経験がないなら、子どもの立場でも構わない。 ここでAとB、二人のスーパーバイザーがいたとする。そしてスーパーバイザーAもスーパーバイザーBも「なんでも正直に話してこそ意味のあるスーパービジョンになる」との立場から、症例の経過について正直に語ることを求めているとする。ところが、スーパーバイジー(つまりあなた)は、スーパーバイザーAには、患者に対する怒りや性的な関心を含め、何でも自由に話せるし、たとえスーパーバイザーとの間にアプローチに違いが生じた場合でさえ「自分だけ意見を自由に言えるし、違いを分かってもらえる」と感じられるのに対し、スーパーバイザーBと居ると、彼の理論に合うよう、微妙に症例の提示を修正し、不安を招くような部分は極力回避しようとする傾向にあったとする。果たしてその違いはスーパーバイジーだけに由来するもの、つまり、スーパーバイジーのあなただけの問題だろうか? もしスーパーバイジー(つまりあなた)が、その事情は何であれ、何とかしてスーパーバイザーBに認められたい、スーパーバイザーBを失っては自分の精神療法家としての将来はおぼつかないと思っているようであれば、「問題は全面的にこちらのせいです」と答え、また、そう自分に言い聞かせるかもしれない。その場合、そのスーパーバイジーは、「自分の意見、自分らしさを犠牲にすること」を、スーパービジョン継続の必要条件と考えていることになる。そうしたスーパービジョンがいかに有害家は、ここで改めて述べることもなかろう。 治療場面でも当然、似たような現象が起こっているはずである。そうした場合、治療者と患者の間の「治療同盟」は、「治療者の理論、主観に自分の方から合わせた場合のみ自分は受け入れらと患者が(多くの場合は無意識に)理解している」という意味において、「疑似性治療同盟pseudtherageutic alliance」である(p.13)。疑似性治療同盟の下で患者が獲得するものは、治療者という新しい重要な他者への病的融通性 pathological accommodationに過ぎない。