うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ツバメの巣立ちと、ぶどうと、『甘えの構造』モデル


夜勤明け、ファミマに行ったら、ツバメの巣立ち?が見れました。
ツバメは、大人になるのが早いですね!
そして、現場で起こっていることと、この風景と、今日読んでいた箇所が一致したので、いきなり『間主観的感性』からのアップにしました。


 その前に、本を読んでいたら、親分から電話があり、親分の用事に付き合ってから、(その前に神戸館さんに挨拶に行きましたが)すろーじゃむの換気に行きました。
 大雨の後だったので、心配しましたが、思ったよりも大丈夫だったので、ほっとしました。
ぶどうも、あの湿度の中、病気にも、カビにも負けず!秋に向け、期待できそうです!


 土居健郎先生の『甘えの構造』からの上手い引用と発展がみられて、非常に勉強にもなり、現在、現場で起こっていることにも当てはまるので、急遽こちらからのアップにさせて頂きました。著者の丸田俊彦先生も、自分は全く知りませんでしたが(本当はコフートの本を購入しようとしていました)、丸田先生の著書を全部読ませて頂きたい気分になっています。

 現場の職員が、下記の症例の母親的な感じになっているのが、最近目に付くようになっていたので、少し引用させて頂き、引継ぎに入れるかどうか?管理者の判断待ちです。
 



第2章 甘えの構造の表と裏――アメリカの子犬は甘えるか?

4,『甘えの構造』モデル 土居自身が明確に述べているように、甘えは、優れて相互交流的対人現象であり、甘える相手の存在を考えることなくしては、その記載さえ不可能である。にもかかわらず『甘えの構造』において土居は、その関係性というよりは、甘える側の行動および精神力動に焦点を絞ることを選んだ。これは、すでに述べた土居の『視点』を考えれば、ある意味で当然のことであろう。「個の確立」と「成熟」を精神分析治療の目標に据え、「観察者(親、分析医)の客観性」を前提とする限り、学問的記載の対象として最も価値があるのは「甘える側の行動および精神力動」ということになる。 この立場を『甘えの構造』の『表モデル』と呼ぶとすれば、次に述べるモデルは『裏モデル』とでも呼べるもので、甘える側とともに甘えられる側の要素――というより、両者の間に形成される間主観性intersubjectivity――を強調する。以下、そのモデルを、「文化面でのコンサルタント」としての役割を私が果たした、日本人留学生家族の症例にそって検討する。〜

 〜主訴は「一人寝ができず、毎晩のように甘えて、両親のベッドに潜り込んでくること」。

 〜家族全員との面接で患者Pは、ほとんどしゃべらなかったが、個人面接では明るくハキハキと問いに答えたという。「学校の友達はみんな一人で寝ているのに、自分は一人で寝れなくて恥ずかしい」、「お母さんも、私のことを恥ずかしいと思っていると思う」、「お母さんは躾が厳しい」。
 面接が重なるにつれ、次のようなことも明らかになった。「私が両親のベッドで寝てしまうことをお父さんは怒っているみたいだけど、お母さんの方は、本気では怒っていないと思う」、「よく分からないけれど、お母さんは私に、一緒に寝て欲しいのだと思う。一人で寝ようと思ったことが何回かあったけど、その時になるとお母さんは決まって『今日は特別だから、一緒に寝ていいわ』と言った」。ここに述べられているのは、患者Pの心的内界における対象関係である

 〜この、心的内界における対象関係を知ると、Pの精神病理としてとらえられていた甘えが、これまでとは違った色彩を帯びてくる。その色彩を添えるのが、他者が見、聞いていることを前提とした『公式的コミュニケーション』(母:「もうお姉さんなんだから、甘えてばかりいないで、一人で寝なければだめよ」、患者:「一人で寝るのが怖いから、いや」という、いわゆる甘え)の裏で行われている、多重チャンネル・コミュニケーションである。それは、患者Pの次の言葉が端的に言い当てている。「お客様が来たとき、出されたお菓子を食べようとするとお母さんは『ダメ』って言うんです。本当にだめなんです。すごい怖い顔をするし、声も大きいし、目も怖いし(『多重チャンネル』)。でも、私がお母さんのベッドで寝ようとする時のダメは、本当にはダメじゃないんです。」


 〜母親(以下Mと呼ぶ)の単独面接を通して、次のようなことが分かった。Mは女子高3年の時に現在の夫にプロポーズされてお付き合いを始め、以後、脇目もふらずに女子大の4年間を過ごし、卒業と同時に結婚した。結婚直後は、良い妻になろうと、半日以上を台所の床を磨いて過ごしたこともあったし、夫が欲しがっていた学会誌のバック・ナンバーを全部揃えるため、中学の時からの貯金も全部使った。子どもが生まれてからは、育児に全力を注ぎ、後から考えれば「やり過ぎて甘やかす結果になったかもしれない」という。夫との関係に問題を感じ始めたのは渡米直後である。学会誌のバック・ナンバーなんか全部揃えていなくても十分学問をしている留学生を見、また、「坊やみたいに甘える夫」の言うなりになることだけが妻の役割ではないことを知るにつれて、夫との間に距離を感じ、セックスはおろか、一緒のベッドに寝るのもいやになり始めたという。さらに、治療が進むにつれ、次のようにも言っている:患者Pの甘えは、夫婦の問題が表面に出るのを抑えるように作用してきたし「今から考えると、私は、Pが甘えるのを助長していた」、「良い妻でいられなくなった今、せめて良い母でありたいと、その確証を娘に求めていたところがある」。
 以上のことから、水面下の多重チャンネル・コミュニケーション(“非公式”のコミュニケーション)が、決してP側の空想的だけではないことが分かる。また、その多重チャンネル・コミュニケーションの全貌は、母親の側の心的内界で対象関係を理解に初めて見えてくる。