うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

稲穂が出てましたと、長野のお土産と、かおちゃんと買い物と、【まれではない詐病とヒステリー発作を除外した後に残るのは、典型的癲癇徴候のある一連の症例で、それらにおいて私は、死の欲動の発現を身近に検証することができた。】


 今日は、休みでしたが、皆さんにささやかなお土産を持って、現場に行きました。
こちらと、塩トマトを買ってきました。どちらが良いですか?と、最初の職員さんに聞いたら、私は食いしん坊なので(笑)くいしんぼう。
誰それは、ごますり!って(笑)そういうふうに思っているんだ(笑)と笑いあいました。
 塩トマトは、ちょっと甘かったですが、以前女性職員さんに頂いて、美味しかったので買ってきました。
夏場には良さそうですね!日中一時の方々も、美味しいと食べておられました!

 朝、ひーひー王子と散歩していたら、稲穂が出ていました。まだ開花していないのか?しているのかを確認はしていませんが(笑)
あまりにも堂々としていたので、写してしまいました。

 現場に行ったついでに、かおちゃんと散歩がてら、ジャスコに買い物に行きました。
今日は、迷わずにコアラのマーチを選ばれ、いつもの紅茶もすっと持ってこられました。
 セルフレジも、自らされていました!





 本は、お中元を持って行くのに、親分が担当者会議が終わるまで、ファミマでコーヒーを頂きながら読みました。
リトル先生の本ですが(笑)こちらももうすぐ、読み終えます。今週一杯は、フェレンツィのアップにさせて頂く予定です。
 精神状態が解体する時(防衛できなくて)に、強直発作から強直間代発作に至るような記述が、この本にも出ていましたが、自分に置き換えて考えてみると、分かるような気がします。自分は、幼少期にてんかん発作のような感じがありましたが、成人すると無くなりました。
 幼少期を、今からよくよく思い出してみると、その原因に思い当たる節がないわけではないなぁ〜と思います。きっと防衛できなかったのだと思われます。外的に色々あると、いくら子どもでも段々防衛の仕方が巧妙になってくるので(偽りの自己とか、第二の皮膚とか)、外から見れば、なんの問題もない子どもに見えるのでしょうね。周囲は取り立てて心配も驚きもしませんでした。リトル先生の、今読んでいる本が、それを思い出させてくれました。

『一度フロイトが、病理学的現象の起源を二つの主欲動のほぼ完全な分解に求めたのも聞いた。つまり彼の推測によれば、 癲癇症状には生への意思の抑制から自由になった自己破壊傾向の暴走が現れているのである。』





望まれない子どもと死の欲動(一九二九)
 一度フロイトが、病理学的現象の起源を二つの主欲動のほぼ完全な分解に求めたのも聞いた。つまり彼の推測によれば、 癲癇症状には生への意思の抑制から自由になった自己破壊傾向の暴走が現れているのである。その後の精神分析的研究は、この理解の蓋然性を私に印象づけるものだった。 癲癇発作があまりに不快な経験につながって、患者が人生を生きるに値すると思えなくなった症例を私はいくつも知っている。(もちろんこれでもって発作の本質自体について決定的なことを述べてようとするつもりはない。)
 ある戦時野戦病院の医長として、私には何より、多くの癲癇患者の兵役能力について意見を述べる職務があった。まれではない詐病とヒステリー発作を除外した後に残るのは、典型的癲癇徴候のある一連の症例で、それらにおいて私は、死の欲動の発現を身近に検証することができた。緊張性の硬直と間代性痙攣の放出のあと、たいてい更に――持続する瞳孔硬直を伴う深い昏睡とともに――筋肉の完全な脱力と、あきらかに舌と咽頭筋の弛緩に起因し、極端に細やかな非常に浅くて荒い呼吸が続く。この段階では、多くの場合、まだ開いている気道を短時間塞ぐことが、発作を短縮する効果があった。窒息の危険のためにこの試みを中止せねばならない症例もあった。昏睡の深さに関するこうした相違の背景に、欲動分解の完全性に関する相違があることを容易に推測できた。しかし、これらの症例の深い分析的貫通は、残念ながら外的状況によって妨げられた。