大雨の心配も、今のところ大丈夫そうです。
中央道の通行止めも、直前に解除され、幸運にも恵まれて、上田市にたどり着けました。
お昼もご馳走(  ̄ー ̄)ノ
これから宿泊先の、志賀高原に向かいます。
大丈夫とは思いますが、アンテナ📶を見ながら、通信出来なかった時のため、早目にアップします。
今回は、マーガレット・リトルの本が、小さなバッグにちょうど入ったので、持って来ました。
精神病状水準の不安と比護
ウィニコットとの精神分析の記録
マーガレット L・リトル著
神田橋 絛治訳
第1章
James S.Grotsteinによる,
イントロダクション
〜Winnicottは、この古典的Freudの派の見解を、熟知してはいました。それは、Klein派の技法では、ことさらに強調されてもいました。しかし、彼は、Paddington Green(小児病院とクリニックです)で、医務部長をしていたことがありますし、母親と幼児の関わりを、数多く直接観察してきました。ですから、彼は、Kleinに対して、彼の視点からの修正を行ったのであって、否定をしたわけではないのです。彼は、養育し・される関係、の性状を重視し、殊に、母親が、幼児との原初における一体状況、を受け入れることの大切さ、和らげ・介護し・幼児の生存と生育に献身する能力、の大切さを強調しました。彼がやろうとしていたのは、出来立てのヒト、が出発するさいのうしろだて、つまり「環境からの供給」「holdする環境」といったものの大切さを、強調することだったようです。
幼児は、母親なしでは幼児たりえない、だから、精神分析の焦点を大幅に移動させて、独立した個体という見方でなしに、母子という、分かちがたい関係、という見方をとるほうが助けになる、と主張しているようです。ここのところが、自己心理学の源泉、となったわけです。さらにまた、彼の、いろいろな概念は、BowlbyやSternとも、密接な関連があります。おそらく、Winnicottの行ったことを、次のように、要約してよいでしょう(これまで、わたくしが述べてきたことを、繰り返すことになりますが):幼児(患者)の、「存在する」自己には、供給をしてくれる環境、のうしろだて(「holdする環境」)が用意されねばならない。そこではじめて、幼児は、頑張る・要求をもった・願望をもった、「行為する」自己、エディブス葛藤をもった、転移神経症になれる自己、へと育つ。前半の段階が、うまくいっていない場合は、分析者は、患者の過去には無かったholdする環境の、代理を現実に引き受けねばならない。そうすることで、患者を、「神経症の精神分析」の水準にまで、導かねばならないのである、と。〜
中央道の通行止めも、直前に解除され、幸運にも恵まれて、上田市にたどり着けました。
お昼もご馳走(  ̄ー ̄)ノ
これから宿泊先の、志賀高原に向かいます。
大丈夫とは思いますが、アンテナ📶を見ながら、通信出来なかった時のため、早目にアップします。
今回は、マーガレット・リトルの本が、小さなバッグにちょうど入ったので、持って来ました。
精神病状水準の不安と比護
ウィニコットとの精神分析の記録
マーガレット L・リトル著
神田橋 絛治訳
第1章
James S.Grotsteinによる,
イントロダクション
〜Winnicottは、この古典的Freudの派の見解を、熟知してはいました。それは、Klein派の技法では、ことさらに強調されてもいました。しかし、彼は、Paddington Green(小児病院とクリニックです)で、医務部長をしていたことがありますし、母親と幼児の関わりを、数多く直接観察してきました。ですから、彼は、Kleinに対して、彼の視点からの修正を行ったのであって、否定をしたわけではないのです。彼は、養育し・される関係、の性状を重視し、殊に、母親が、幼児との原初における一体状況、を受け入れることの大切さ、和らげ・介護し・幼児の生存と生育に献身する能力、の大切さを強調しました。彼がやろうとしていたのは、出来立てのヒト、が出発するさいのうしろだて、つまり「環境からの供給」「holdする環境」といったものの大切さを、強調することだったようです。
幼児は、母親なしでは幼児たりえない、だから、精神分析の焦点を大幅に移動させて、独立した個体という見方でなしに、母子という、分かちがたい関係、という見方をとるほうが助けになる、と主張しているようです。ここのところが、自己心理学の源泉、となったわけです。さらにまた、彼の、いろいろな概念は、BowlbyやSternとも、密接な関連があります。おそらく、Winnicottの行ったことを、次のように、要約してよいでしょう(これまで、わたくしが述べてきたことを、繰り返すことになりますが):幼児(患者)の、「存在する」自己には、供給をしてくれる環境、のうしろだて(「holdする環境」)が用意されねばならない。そこではじめて、幼児は、頑張る・要求をもった・願望をもった、「行為する」自己、エディブス葛藤をもった、転移神経症になれる自己、へと育つ。前半の段階が、うまくいっていない場合は、分析者は、患者の過去には無かったholdする環境の、代理を現実に引き受けねばならない。そうすることで、患者を、「神経症の精神分析」の水準にまで、導かねばならないのである、と。〜