うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

カーグの画題探しと、【だからこの段階では、馴染みのないことと敵対的であることは同じである。】



今日は、休みでしたが、少しだけ早番の手伝いをしてから、給与計算を仕上げて、カーグの画題を探しに、親分の運転手として浜松の都田まで行って来ました。
 今、親分はフィンランドの陶芸にハマっているので、浜松フィランド協会があるところに行けば、フィランドのものがあるのではないか?と色々調べていたようで、差し出された住所をナビに入れて行きました。


 写真のように、素敵な場所でしたが、親分が何かで見た、フィンランドの陶芸らしきものがなく、植物を少しだけ買って帰りました。


 そこの販売員さんが、関西弁ですね!って話されて来たので、大阪です!って言ったら、自分は和歌山です!と返ってきました。
大学でこちらに?と聞くと、ここに就職したくてきた!とのことでした。レストランやカフェにも行きましたが、見かけだけでなく、料理も飲み物も本物でした。特にこういう凄い人が作っているなんて書いていませんでしたが、逆に自信があるので、書く必要がないのかもしれませんね。
 うたたも、こういう若い人が働きたいと思うような職場にしたいなと、親分談です(笑)
それなら、自分たちが本職の、アートや音楽をもっと前面に出してやるしかないのでしょうか?もっと勉強して、どんな職員にも分かり易く、効果的な支援が出来るようにしていけば良いのでしょうか?
 今日は、そういう面でも、良い時間を与えてくれました。


 でも、これっといった画題が見つからず、いつもとしちゃんと散歩する芦が池の畔にある、アンティチョークの畑に行く提案をしたら、直ぐに向かえと(笑)何とか、その畑の持ち主を探し出し(親切な農家の奥様が丁寧に教えてくれました)、いきなりお宅を訪問させて頂いたにもかかわらず、直ぐに畑に向かい、本当は1本1,500円だけどと言われながらも2本1,000円で譲って下さりました。本当にありがとうございます!浜松では、ドライフラワーになりかけのものが、一つ(1本ではなく、芦が池のものは、1本に花が2〜3個ついていました)1,500円でしたので、本当に助かりました!

 短いのを、一つ投げ入れてみました。後ろに他のものを挿しましたが、一つの方が、この花器にはあっていたので、これにしました。
カーグではどのようにしましょうか?頂いた、親分が古備前の壺に入れると言っていましたが、活けるのが難しそうですね。





 本は、早番の手伝いをしてから、少しだけファミマ(笑)で読みました。
今日の箇所は、少し分かりづらいですが、後の方にじわじわと効いてくる箇所だと、現在読んでいる箇所を何度も読み返していると、そう思いました。
 明日から、ほんまの早番が4日連続続くので(笑)、早く寝ないといけませんね(笑)
 梅雨入りしましたが、明日明後日は何とかもちそうなので、沢山散歩をしたいと思っています!





不快感の肯定の問題――現実感覚の認識における進歩 (一九二六)
 精神分析に親しみはじめて間もなくです私は、その機能様式が、心の生活において通常一般に証明可能な不快逃避傾向と抑圧傾向ときわだった対照をなすように見える現実感覚の問題にぶつかった。幼児の心へのある種の感情移入によって、あらゆる不快感から免れた幼児には、なによりも全存在が完全に統一されて、言わば「一元的」と感じられねばならないという立場に立った。後になってはじめて、「よい」物と「わるい」もの、自我と環境、内と外の分離が起こる。だからこの段階では、馴染みのないことと敵対的であることは同じである。続いて別の論文で私は快感原則から現実原則に発達する決定的契機を理論的に再構成しようとした。子どもは、最初の衝撃を受ける前には、際限ない万能を持っていると感じており、自らの意志の願望充足的現実化が何らかの条件に結び付けられても、悪いそうした条件が増加し、複雑化して、万能感を全般に放棄し、現実を認識することを強いるまでは、その万能感をつかんで離さないのではないかと考えた。〜

 〜欲動生活と知性の間に横たわる裂け目にかける架け橋は今も存在しない。両者に架橋するには、フロイトが欲動表出の多形態を最終的にまとめることを可能にしたような高度な単純化が必要にとなる。生きているものすべてが基盤にある欲動の両極性、つまり生の欲動(エロス)と死の欲動あるいは破壊欲動という両極性のことである。とはいえ、ようやくフロイトが発表した最も新しい論文『否定』では、控えめなタイトルには正確に告げられた思考過程の心理学の端緒が隠されており、いままで分散してきた私たちの知識の断片が互いに結び合わされた。いつものようにフロイトは今回も分析経験という確かな基盤に足場を据えており、一般化には極めて慎重である。彼の足跡を追いながら、今一度、現実感の問題をフロイトの発見の光の下で扱ってみよう。〜