うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ビワと、【現実の問題は、退行した患者の欲求を充足すべきか欲求不満のままで押さえるべきかでさえないのだ。】


 昨日の朝、ひーひー王子と散歩していたら、強風でビワの枝が折れていました。ちょっと汚れている感じでしたが、手に取ると使えそうだったので、投げ入れました(笑)

 昨日は夜勤でした。夜勤は中々楽しくて、お互いに何かが起こりそうな、何も無いような(笑)で、前回のお化け屋敷的な事は起きず(笑)時間帯によって比較的まったりとしました。ショートの方々が就寝され、消灯時間まで、約2畳広くなった食堂で、就寝時間ぎりぎりまで、ゆうちゃんと、いのうえっちは頑張っていました(笑)
 ゆうちゃんはいつもは早く就寝されるのに......です(笑)
日中は日中で楽しいことがありますが、生活を見させて頂くと言うのも、非常にお互いがたのしいですね!自分達も、生活が安定していなければ、仕事にも集中出来ないし、やはり生活が人間の基礎のように最近は思います。もちろん、自分の事も含めてです。
 安心・安全感をどうしたら持っていただけるかが、支援の基本ですね。


 夜勤明け、ファミマで少し本を読んで自転車で伸びきってしまった膝の靱帯に力が入らず(笑)頑張って帰ってきて、玄関に入ったら、隣市の市役所からの電話で、それに対処していたら、覚醒してしまいました(笑)今日は、ぐっすりと眠ろうと思っていたのに(笑)結局何だかんだで、今まで起きていました。明日は休みなのでゆっくり寝ます。




 バリントの新しい本も100ページまで進み、こちらの本は貯金を崩しています(笑)
後は、アクティング・アウトがでてきたら終わりくらいになります。同じような文章が続きますが、少しずつ前進しています。
 現在、考えている支援と、偶然本屋さんで出会った本の内容が合っていたので、本当に助かりました。取り敢えず、一つの事にだけ気を足られずに、逆も真なりくらいに構えていた方が、本当のことに近づけるのかも知れませんね。

〜前節の消極面の一つの枝は、われわれの挙げるもので最後にするが、これもまた消極的なものである。それは、分析者は“万能”者になることはもちろん、患者の眼に万能者として映ることも避けなければならないことだが、この治療時期には至難の業の一つである。退行患者は、自分の治療者がもっと物知りで問題力があってほしいと期待を持つ。とすれば、分析者は、はっきりと口に出してか態度で表すかはともかく、一つの約束をするものと期待される。患者を退行から救い出してやる、とか、退行の壁をとおして患者の心を察する、という約束である。こういう約束は、その方針についての暗黙の了解らしきものを、しかもちらりと見せただけでも、きわめて重大な難関となり、分析して仕事を続ける上で越えがたい障害となる。ここでも、分析者のできることは限られたものだ。存在し、破壊されず、真性の一次物質の役割を引き受けること、それのみである。患者を支えるために存在し、患者の大切さ、患者の重味を感じつつ、なお患者を支えること、患者と自分との間に元来引かれた境界線をかたくなに守りとおそうとは思ってもみないこと、等々で、これは真の一次物質だが、それはほんとうの意味の対象ではないから、独立した存在かどうかは、問題にならない。〜
以上の考え方を認めれば退行患者のしつこい要求を充足してやるべきかどうかという問題の様相は一変する。あまりに一変するので、これまで取り組んで難渋していたのは、樹て方の間違ったニセ問題ではなかったか、と訝しくなる。現実の問題は、退行した患者の欲求を充足すべきか欲求不満のままで押さえるべきかでさえないのだ。そうではなくて、退行に対する分析者の応答如何が分析患者関係にどう影響するか、そして、そのために今後の治療経過がどう左右されるか、が問題なのだ。たとえば患者の期待を満足させる分析者と応答が、患者の中に、自分の分析者は博識で有能で全知全能に近いという印象を生み出すのなら、そんな応答は危なっかしくておすすめできないとされるべきである。間違いなく分析者と患者との不平等性を増大させるし、患者の基底欠損を重症化させて嗜癖類似状態を招来しても不思議ではない。 逆にもし、欲求を充足しても分析患者間の不平等性を増大させず、私の言う一次愛のパターンに合う対象関係が生まれるような形をとりうるならば、それは法にかなった策として真剣に適用を考慮するべきである。