うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

Kさんの作品と【わたくしが対応の仕方を変更し、ずっと柔軟な技法を用いるようになって、この患者は、長くて困難だった分析を、満足できる成功したものとして終わらせることができました。】






Kさんの作品が溜まってきたので、少し整理をさせて頂きました。
布か板に張り付けて、おっちゃんが責任を持って、アールブリュットデビューさせて頂きます。
 素敵だと思いませんか?


 朝から、なぜか(笑)ばたばたしていました。
本は、早めに出てと、学齢児さんのバスを待つ間に読みました。



 読んでいると、何か、最終的にはゲシュタルト療法的な考え方になっている様な気がして来ましたが、リトル先生が書かれているように『わたくしは、そのうちの七年間を、わたくしが教えられ、訓練でわたくし自身体験した古典的技法を用いて行いました。わたくしが対応の仕方を変更し、ずっと柔軟な技法を用いるようになって、この患者は、長くて困難だった分析を、満足できる成功したものとして終わらせることができました。』を読んでいると、ふとそんな気になりました。

ゲシュタルト療法を行う治療者には例えば以下の資質が求められます。
•自分の枠組みや固定観念にとらわれない
クライエントのプロセスをあるがままに観ることができる

 まさしく、リトル先生の仰っていることですね。





過剰な不安と過度の熱意
 それらの結果、分析治療が遷延して終結不能のものになるか、早すぎる終結になることがあります。それは、タイミングが悪いか間違った解釈を繰り返し与えたり、あるいは不適切な言葉を繰り返し用いたせいです。ときおりそうしてしまうのは、かならずしも失敗にはなりません。患者は、通常、次のチャンスを与えてくれます。〜
 〜一度にあまりにたくさんのことをやろう、することが問題となることもあります――先に行きすぎたり、あるいは速すぎて、患者にペースを決めさせなかったりする、あるいは逆に、治療者がイニシアチブを取り損なうと失敗してしまう、という場合もあります。 徹底操作が、ここで重要になります。あるときは患者が、徹底操作しなければならないし、あるときには、分析家が、より多く徹底操作をしなければなりません。







不安を解消する患者の方法を理解しない
 今述べた例では、わたくしは防衛的要素に気づいていましたが、次の例では気づいていませんでした。 ある患者が、繰り返し不安夢を見ていました。しかしそれらの夢はいつも、彼女のある魔術的な逃避方法によって、終わるのでした。すなわち、彼女は、羽目板の囲いにドアを見つけ、ついているスイッチ、あるいはハンドルが彼女を逃れさせるのでした。わたくしは、わからなかったのですが、彼女に、次の質問をすべきだったのです。「見つけられなかったら、どうなったでしょう?」と。 彼女は、わたくしに、分析治療は失敗だったと認めるように要求して、分析から逃れました。わたくしは、認めました。そしてわたくしは、次のように指摘しました。すなわち、あなたがこうすることは、それもまた魔術的な逃避です、そして、分析治療が成功してしまうかもしれない、というのが恐怖です、と。
 彼女はどんなにあがいても、母親に勝ったことがなかったのです。
 わたくしは後に、彼女は今では幸せな結婚をした、と聞きました。それまでは不可能だったのです。ですから、わたくしが負けを認めたことに、治療的効果があったのかもしれません――そうかどうか今だにわかりませんが。






あまりに硬直化した技法
 これは、診断の問題、そして精神病水準の不安の認識、と密接に関わっています。
 第3章で、わたくしは、ある患者の分析治療について記述しました。わたくしは、そのうちの七年間を、わたくしが教えられ、訓練でわたくし自身体験した古典的技法を用いて行いました。わたくしが対応の仕方を変更し、ずっと柔軟な技法を用いるようになって、この患者は、長くて困難だった分析を、満足できる成功したものとして終わらせることができました。
 彼女は違った人になりました。すなわち、結婚したこと、そして他の人間関係が、彼女を著しく変えたのです。そして、今ではもの何年も、彼女は社会に価値のある貢献をしてきました。