うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

<弁天島/浜小屋マルシェ開催のご案内>と、【転移精神病の分析は、退行において、そして命がけの依存への退行においてのみ遂行できます。】


 浜松のハゼドンこと、水島さんから、案内がきました!
水島さんのパーティーの時の、魚の美味しさが忘れられないので、行きたいですね。
 バンドでお呼び頂いたのですが、お母さんたちの方が、美味しいと(笑)ばくばく食べておられました(笑)


【情報】

弁天島/浜小屋マルシェ開催のご案内>

* 1〜2月の土日(限定12日間、但し2/3,2/4はお休み)に、
弁天島海浜公園に於いて、浜小屋マルシェが開催されています。

* 地元の農水産物の直売や、牡蠣むき見学、牡蠣やアサリ、
浜名湖海苔、鰻などの一品料理が食べられるコーナーがあります。
詳細は添付のチラシをご覧ください。

* 開催時間は、10〜14時までです。

 宜しければ、時間の空いた時にでもどうぞ・・・。
(^。^)y-.。o○


<ハゼドン倶楽部 主宰・水島 秀俊>





  本は、夜勤明け、ファミマでコーヒーを飲みながら読みましたが、10時から歯科へ行く予定だったので、慌てて(笑)自転車で走り、何とか間に合いました。
より実践的な記述になっていますので、何回もこの章を読み返しています。

『つまり、分析者と被分析者との間の完全な同一、という被分析者の抱いている妄想は、被分析者にとって真実であることを、分析者が受容し、その中に没入し、そして、その妄想が、精神的には真実であること、しかし客観的には真実でないこと、を明らかにしていくことなのです。』何度も同じような言葉が出て来ますが、大事な所だと思っています。
 現場でも、同一化はすれど、分離が出来ない職員だらけ(笑)なので、いつまでたっても、同じ支援しかできていないケースがよく見られますね......。
もしかしたら、職員が逆に利用者さんたちに依存してしまっているのかも知れませんね(笑)




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 次に、わたくしは、分析技法の問題について述べたいと思います。その基本原則については、すでに述べました。つまり、分析者と被分析者との間の完全な同一、という被分析者の抱いている妄想は、被分析者にとって真実であることを、分析者が受容し、その中に没入し、そして、その妄想が、精神的には真実であること、しかし客観的には真実でないこと、を明らかにしていくことなのです。 妄想が存在するので、通常認められている技法を、ある程度拡大して用いる必要があります。わたくしはここで、その中のいくつかをまとめてみたいのです。


 1.転移精神病の分析は、退行において、そして命がけの依存への退行においてのみ遂行できます(しかしこのことは、すべての症例に退行性病像を予測するわけではありません)。通常の条件では十分ではないので、分析治療を可能にするために、何らかの修正が必要なこともあります。入院や、分析者が患者を訪問したり、分析室や予定時間を変更したり、家族と面接したりするなどです。


 2.(実際の現実において)、患者の世話をしている人たちは、分析者の精神的な延長になるばかりではなく、分析者と同一になります。ときどき、セッションの中で、少なくとも瞬間的において分析者は、患者のさまざまな側面を(イメージ上)引き継ぐことになります。患者の自我、恐怖、愛情などを、ときには、患者の身体、あるいはその一部をさえ引き継ぎますが、逆にそれらが分析者の代わりになることもあります。


 3.患者が受容、推測し類推、象徴化、あるいは演繹的思考を用いられない領域においては、妄想思考が実際には非現実的であることを示すために何か実際的な、具体的な、そして身体的な現実が利用されます。それらは、次の段階で言語と結びつけられます。そして言語が妄想の支配していない領域へとつなげる働きをするのです。 わたくしがここで述べているのは、質問に答えるとか、患者に触れたり、触れられたりすることとか、対象が、あたかも表象している事物そのものである(「象徴的現実」、Mme.Séchehaye[1951]が記載したような)とか、あるいは分析者の感情を直接利用することです。これらのことは、危険であり、何らかの点で、分析状況そのものを破壊することであると見なされてきました。しかしわたくしたちの経験では、それは真実ではありません。それらを利用することで、はるかに「流動的な」状況が生み出されます。そのことが、分析者にもっと大きな不安を引き起こすかもしれませんが、それは別の問題です。


4.解釈は、すべて言語的なもの、という訳ではありません。わたくしは先に、解釈の二段階について述べました。その中で、最初の段階は非言語的な段階で、身体的な出来事あるいは事物が実物での解釈になり、その結果、発見が生じます。そして第二段階は、言語化で、それによって現実検討と洞察が生じます。このことはまるで、最初に精神病的な層を取扱い、そのあとで神経症的な層を取り扱うように見えます。しかし転移現象は、両段階を通り過ぎるまでは、精神病水準のままなのです。