うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

素敵な音色の鈴のお土産と、【「ももクロ」でいじめが起こりにくい理由 中野信子氏が分析】と、【ですから、現実を提示する際は、この種の患者たちが、延期、推論、あるいは象徴化を行う必要がないような形で、つまり、具体的に、具象的に、行わねばなりません。提示の様式は、個々の患者と、そのとき�

 
 うたたねの看護師さんが、おっちゃんに、素敵な音色がする鈴を買ってきて下さいました。
本当に良い音色です。おっちゃんが、時々、心の行き所がなくなり、迷子になるので(笑)買ってきて下さったのだと思われます。
 肌身離さず、にしないといけないですね!


 今日は、夜勤なので、バタバタ・ザクザクと仕事をこなして、ちょっと一息です。
朝、中野信子さん関係の記事が、昨日見たので、すぐに上がってきました。
 去年のものですが、これまた、勉強になりました。

ももクロ」でいじめが起こりにくい理由 中野信子氏が分析
https://news.goo.ne.jp/article/postseven/trend/postseven-619712.html
2017年10月10日 16:00
(NEWSポストセブン)
 2017年3月、文部科学省が「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」を策定した。これは、2013年に「いじめ防止対策推進法」が施行されたにもかかわらず、自殺のような「重大事態」が減らないことを国が憂慮したことがきっかけだ。しかし、取手市仙台市のいじめ事件等、いじめを苦に自死を選ぶ子どもは後を絶たない。さらに大人社会においてもいじめの事件は多い。『ヒトは「いじめ」をやめられない』(小学館新書)の著者で脳科学者の中野信子氏は、いじめはヒトという種の脳にプログラミングされた機能であり、なくすことは困難である」と語る。いじめのメカニズム、そしてその回避策を脳科学の観点から聞いた。〜


〜──いじめや制裁行動は、集団を維持し、ヒトという種を残すために脳に組み込まれた機能の一つということですか?
中野:排除行為を行うためには、労力がかかり、リベンジされる危険もあります。本来ならば、極めて非合理的な行動です。さらに、いじめはよくないことだと理性的には理解しているはずです。しかし、そのリスクに対する恐怖や理性的なブレーキを上回るほど、誰かを攻撃することによる「快感」を感じるように、脳はプログラムされているのです。実際に、制裁行動が発動する時の脳では、「ドーパミン」が放出され、喜びを感じることがわかっています。これは、制裁行動に快感を与えなければならないほど、人間という種が生き延びるためにも根本的には重要な行動だったということが言えます。──いじめが起きやすい集団の特徴はありますか?
中野:心理学者の澤田匡人先生の調査によると、「規範意識が高い集団ほどいじめが起きやすい」ということがわかっています。その理由として、脳科学的には、「脳内ホルモン」の影響が考えられます。
 誰かと長時間同じ空間に一緒にいることで、「仲間意識」をつくる「オキシトシン」という脳内ホルモンが分泌されます。オキシトシンは愛情ホルモンとも呼ばれ、愛情が親近感を感じさせるホルモンです。しかしこのオキシトシンが高まりすぎることで、仲間を守ろうという意識が高まり、「邪魔者」を検出し、排除しようという意識も同時に高まってしまうということがわかっています。






 本は、朝に車を車検に出してきたその足で、自宅近くにあるファミマで読みましたが、アップは昨日読んだ箇所です。
どこを切り取っても勉強になります。


第5章 妄想領域における現実の直接提示

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他のいくつかの論文で、わたくしは、ある種の患者たちについて記述しました。原始の全面的未分化(「原初なる一」)の領域が、成人としての生活の中に、妄想として残存している患者たち、つまり境界精神病の患者たちについてです。そして、彼らの分析治療では、それは原始の全面的未分化の領域において、彼らが、演繹的思考という高級な過程を使えないこと、正しい推論を引き出せないこと、象徴化、比喩、を用いられないこと、について記述しました。 このことは、未分化性そのものに由来します。そこではできる象徴と象徴されるものとが、まったく同じであり、演繹作業の、出発点と結論が同じものなのです。 これと同じ理由のために、これらの患者たちは、多くの領域で現実を検討することができないのです。彼らは、まず、現実を発見しなければならないのです。彼らが関わっているのは、分化と結合の過程であって、投影や努力、同一化や抑圧などではありません。そうしたことはすべて、主体と対象との分離が前提になっているからです。いまあるのは、精神病的な破滅不安です。というのは、分離と有効性はともに同一のもので、不可避で現実破滅をもたらす、と恐れられているからです。彼らは相容れない複数の目的を保持しています。すなわち分析者との同一化と分析者からのまったくの分離であり、しかもそれを維持し、同時に破壊することを目的にしているのです。また、主体と対象、思考と感情との同一性をも分離しつつ破壊するのです。これは、まったくもって複雑な、非常に広く根を張っている病理であり、こうした未分化性のもっている特徴なのです。 ですから、現実を提示する際は、この種の患者たちが、延期、推論、あるいは象徴化を行う必要がないような形で、つまり、具体的に、具象的に、行わねばなりません。提示の様式は、個々の患者と、そのときの状況に特有のものになります。いったん現実が患者の意識に届くと、患者の非精神病的な部分、それは一時的に停止されなければならなかったのですが、が活動できるようになり、程度はともかくとしても、患者のもっている演繹などの能力を使えるようになります。しかし、このことは、現実を発見したことの余禄と見なされるべきです。
 提示される必要のある現実は、ほとんどが、非常に早朝の発達段階で属したものです――生と身体との分化が始まったばかりで、言語化の能力はまだずっと先といった発達段階です。言葉との結びつきが可能になるのは、後になってからですが、そうなったときには、その結びつきがこんどは本質的なものと位置づけられます。
 これは未分化状態の段階で、そこでは身体経験がなによりも重要です。つまり、この段階では、患者にとって意味のある体験は、実際上、正しくてタイミングはよい解釈が神経症の分析治療でもたらす効果、とまったく同じ効果をもたらすのです。〜