うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お正月の準備と、【原初的な「興奮させる」性質の、非常に早期の幼児体験の身体記憶が、良いものであれ悪いものであれ、明らかにされねばなりません、つまり、現実の満足と、現実の狂乱、の身体記憶です。】


 昨日、山から頂いて来た材料で、うたたねの正月飾りを作りましたが、上手く出来ませんでした(笑)

 取り敢えず、小さくまとめたものだけ、持って行きました。

 お正月は、東京で過ごす予定なので、アコースティックギターのソフトケースに、シルクスクリーンを刷ってみました(笑)
新宿で、浅草キッドを自分なりにアレンジしたものを弾きます。



 本は少しだけ読ませて頂きました。
東京にもこの本を持って行きたいと思っています。本当に勉強になります。まだ、明日、一仕事残っていますが.......。



 つまり、分析治療の成否は、妄想的転移の破綻が起こるか否かにかかっているわけです。そうするためには、現実が、否定しがたく、避けられない形で、提示されなければなりません。そうすることによって、現実との接触を拒否できなくなり、そのようにして、患者は、推測も演繹的思考もどちらも、用いる必要がなくなるのです。これは、小さく子供が夢から覚める状態に似ています。しかし、そこには、醒めるのを助ける人がいなくてはなりません。 非常に早期の依存段階への退行は、避けられませんし、多くの患者は、何らかの退行的疾患にならないと、事態を乗り切れません。わたくしの経験では、たいそうで、その際、二人精神病の出現は、分析治療を進めるために破壊されなければなりません。依存は、要求されているし、同時に拒否されています。ですから患者に、安全のために必要なケアを受け入れさせるのは、いつも簡単だというわけではありません。 原初的な「興奮させる」性質の、非常に早期の幼児体験の身体記憶が、良いものであれ悪いものであれ、明らかにされねばなりません、つまり、現実の満足と、現実の狂乱、の身体記憶です。 これらの記憶は、分析状況での体験、と結びつけられなければなりません。そうでないと、精神と身体との乖離、際限のない破壊性と愛情への飽くなき要求とが、いままでどおりに続くことになります。早期の体験は、できるだけ納得のいくように、再構成されなければなりません。そして、発見された隠蔽記憶は、すべて、分析治療での体験と結びつけられなければなりませんが、この再構成という目的に役立てるためです。そのためには、どんな種類の推測も容認せねばなりません。 分析状況は、こうした身体的経験に対して、あるものを提供します。もっとも、以上のような点からの、その重要性は、しばしば見過ごされてていますが。それらは、寝椅子、部屋の暖かさ、遮光、静けさ、などです。退行的な疾患があったり、精神病的エピソードが続いている場合には、それ以上のものが必要かもしれません。例えば、別の病気を併発した場合の、入院や看護的なケアがそうした効用を果たすことは多いのです。それらのものは、転移に、しっかりと結びつけられる必要があります、つまり、それらのものは、分析者その人の延長部分としての外見と働きをもちますから、妄想的レベルにおいてですが、分析者は、心的現実の範囲内では、それらのものの全責任を取るのです、たとえ、実際の現実がどのようなものであっても、そして患者が、彼のもう一方の領域で、いかほどに実際の現実に気づいていても、です。