うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ねこさんの鼻水と、はじめに言があったと、【そうした限界が非常に重要なのは、分離のポイントを患者に気づかせるためです。】


 用事を済ませて、帰宅したら、親分がねこさんが......と言うので、見に行くと鼻水が出ていました(笑)
写真を撮ったら、拭いてあげました。もうおばあさんなので、仕方がないですね......。

 先日、YWCAさんに行った時に、飾ってあったものです。
有名なくだりですが、読み返してみると、精神分析のことかな?と思ってしまいました。


 今日は、いつ本を読んだのか?忘れてしまいましたが(笑)ばたばたした、一日でした。
本とギターは何とか少しでも触れました。





 アップは、昨日、バスを待っている間に読んだ箇所です。
本当にどこを取り上げても勉強になります!


 下記を読むと、やはり現場が一番大事だと、改めて思いましたが、現場で働いている職員が一番下に見られている現実がありますので(精神分析では、現場ありきですが....)、何とか現場の地位を一番上に持って行きたいとの思いで、毎日利用者さん達の為に、全力を尽くしています!
『そしてそれができるのは、分析者が患者のために「全力を尽くしている」ことに、患者が気づき、自分でもそうすることに価値を見いだしたときだけです。』






限界;「全力を尽くす」
 わたくしは、責任、関わり、そして感情には、すべて限界があることを示してきました。無論、このことは、タイプの異なった患者ごとに、そして個々の分析者ごとに、ちがいないくるでしょう。そうした限界が非常に重要なのは、分離のポイントを患者に気づかせるためです。ある限界に達して、患者がそれに気づき、たとえ自分のニーズや要求はもっと先にあっても、いま以上には進めないのだと気づいたとき、患者は、自分で分離していることにも気づくことになるのです。もし彼の、分離に耐える力が非常に弱ければ、すぐにあらゆる限界に達するでしょう。彼の自我へのニーズが大きくなりすぎるので、状況をきわめて慎重に扱わないと、ある種の反応(例えば、ある激しい行動化や、身体的な病にかかる)が起きるでしょう。限界がそれに自我の能力の範囲内にあり、その論理や現実を患者が把握できれば、限界は成長する機会になり、自我が強化される場所になるのです。  限界と対照をなすのは、100%の、責任性、関わり、感情や反応の受容です。そうしたことは、患者に許されている「限界のない」考えや言葉に相応するでしょう、考えや言葉を現実化するのに役立つわけです。 ある患者たちは、非常に重症なので、広範囲にわたって、集中的に、たいへんな努力を払わないと、治療は成功しません。そうした症例の場合、困難なのは、彼ら自身に「全力を尽くす」ように努力させることです。そしてそれができるのは、分析者が患者のために「全力を尽くしている」ことに、患者が気づき、自分でもそうすることに価値を見いだしたときだけです。