うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

まずは一服と、【人間の好奇心の結果は、創造的衝動、破壊的衝動の両方と結びついています。】


 今日は、休みでしたが(笑)明日、愛知県庁に行くので、その資料を作ったり、人員配置は出来ていましたが、志願して、渥美に入浴介助に行って来ました。
来年度、動かないといけないことが2つあり、それの相談と、図面を見てもらいに行きます。
 明日は親分が休みの日ですが(笑)お互い休みに仕事が入ることが多いですね........。

 自分達の能力や、やってきた事を思うと、日中の事業所もしたいのですが、資金がないので、直ぐには無理ですね(笑)
昨日の忘年会で、プロのサーファーや学校の先生の話をしいていると、この地域で事業をするのは、難しそうですね(笑)
 枡が小さすぎるのか?器ができていないのか?みんなが良くなる方向でやればいいのにと思いますが、サーフィン連盟みたいなのがいくつかあって、全然連携できていないと言っていました。福祉もまさにそうだと、声を大にして言ったら、皆さん同じやね!みたいになりました。


 本は、学齢児さんのバスを待つ間と、洗濯が終わるまでの間に読みました。
アップは、難しい箇所ですが、忘年会の話を思い出すような感じがしたので、アップしました。




〜わたくしは、スコットランドの一族たち、彼らの血縁の絆や流血の宿命を思い出します。スコットランドの歴史の中で、感情的なしこりが今日まで続いている出来事の一つは、MacDonald家の人々で、Glencoeで、彼らの「訪問者」のCampbell家によって虐殺された事件です。Seton Gordonが、著作の中に「歓待をめぐるしきたりのすさまじい破壊」、と述べているものです。Dunveganでは、その地を訪問したMacDonald家の人々が祝宴の席上である主催者であるMacDonald家によって殺されたのです。そうした大量虐殺は、「歓待をめぐるしきたり」が反動形成だったことを、まさに明らかにするものです。そして、この行動には種類の異なる二つの事が含まれています。最初の出来事では、殺されたのは主催者たちだという、、そして二回目の出来事では、訪問者たちが殺されたということです。どちらの場合も、攻撃者は、以後は、互いに血縁や血統で結びつくのみならず、共謀して血を流したことでも結びつくのです。そして、他のすべての人たちは、彼らに敵対するのです。 このことを、わたくしたちは、強く結びついている家族という点から考えます。しかし、正しかろうと悪かろうと、一族や部族のメンバーのように、人種や国は、距離がどんなに離れていても、血縁によって結びついている、と考えられることがあります。同様に、ユダヤ人大虐殺の中に、ナチズムや狂信的なシオニズムの中に、MacLeod家やCampbell家の歴史に明白にあらわれている、前述の空想と同じ二つの側面を見ることができます。
 人間性に対する犯罪」である大虐殺は、そのために、犯した人々は非難されるのですが、「アーリア人種」ではないすべての人々、特にユダヤ人やジプシーを絶滅させようとする試みだったのです。それは世界的規模の出来事ですが、この小さな少女が、兄弟姉妹と共謀して、見知らぬ人を殺したいと思ったことは、それと同じことなのです。それは「家族に対する犯罪」、すなわち両親と両親が作り出している赤ちゃん、に対する犯罪なのです。
性器性の否認や、子供は糞便だという主張は、残念ながら、今日の世界では、ベルゼン強制収容所や何百万人という難民によって、わたくしたちに明らかなことです。しかし、それは、この空想のこうした大規模な行動化は偶発的なものだ、という再評価と関係しています。機械化、空の旅、テレビ、そして最後に、原子力宇宙旅行(人間の好奇心の結果は、創造的衝動、破壊的衝動の両方と結びついています)は、人間の仕事や、新しい宇宙論の再評価をもたらしたり、あるいは伴ったりします。それはちょうど、Theresaにとって、母親の妊娠とトイレット・トレーニングがもたらしたことであり、そこに、わたくしたちは、この再評価がもたらした、ナルシシズムの打撃への反応としての退行、を見ることができます。 しかし、Theresaがしたように「一人でする」人は、分離を受け入れ、少なくともある程度までは、全体対象を認知しているようです。しかし、集団の一人や、あるいは家族の、あるいは一族の一人としてのみ、行動しようとする人は、それらを否定するのです。そして分離はないと主張し、さらに、もっと前の段階に退行するのです。自分自身は部分対象でしかありえないのだ、と主張するのです。Melanie Klein(1935)は、こうした全体対象の認知が、うつ病パラノイアとを区別するものだ、という考えを提唱していますが、わたくしは、そこにTheresaのパラノイド状態を理解する鍵がある、と考えています。彼女は、まだうつ病状態にいて、本当のパラノイアではなく、だから、とぎれとぎれではあっても、精神分析が可能なのです。