うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

年末チャリティーの準備と、銀杏の食べすぎに注意と、【この罪業感が分析の中で再び復活しないなら、患者は、メラニー・クラインによって抑うつ態勢として表現された人生の早期段階、成長する幼児が自分の憎しみと愛情との間の葛藤に気づきそして苦しむようになっていく態勢をワーク・スルーできない。】



今日は、夜勤ですが、学齢児さんの入浴介助が夕方渥美でありますので、それが終わってから夜勤に入ります。
午前中に、福祉車両を撮りに行き、ついでに掃除の手伝いをさせていただき、体を追い込んできて、先程帰宅しました。
 もう少ししたら、渥美に向かいます。
剪定ばさみを忘れないように、かばんに入れましたので、ブドウの剪定もしてきます。
 少しだけ時間が空いたので、年末チャリティーの準備をしました。こちらは、額を作ってもらおうと思っています。


 銀杏の季節なのか?銀杏の食べすぎに注意!というニュースを目にしました。
読んでいて、ふと、てんかんの方々に応用できないのかな?と思ってしまいました。

『銀杏に含まれている成分にビタミンB6に非常に似た成分があって、体がビタミンB6と間違えてしまう。』そうです。
 
 マグロやにんにく、鶏のささみなどに多く含まれるビタミンB6は脳に信号を送る神経伝達物質を製造したり、脳の興奮を抑えたりする働きがあるのだが、なぜ銀杏を食べすぎると欠乏するのだろうか。

 他のサイトには下記のようなことが載っていました。

 銀杏には「チルビリドキシ」という物質が含まれていて、この物質はビタミンB6の働きを邪魔するという性質があり、それによりビタミンB6欠乏を引き起してしまうのです。
ビタミンB6の欠乏は神経伝達に害をもたらし、中枢神経が異常を起こすので、その結果、痙攣や呼吸困難などの症状が起きるとのこと。

 ギンナンを食べ過ぎると1〜12時間後に、腹痛・嘔吐・下痢・頻脈・消化不良などの食中毒様症状が出るほか、ひどい場合にはふらつき・痙攣・呼吸困難・意識消失・ショックなどを引き起こします。
 原因は、ギンナンに含まれるメチルピリドキシン(MPN)という物質が、ビタミンB6の欠乏を引き起こし、その結果、ギンナン中毒が現れると考えられています。
 このメチルピリドキシン(MPN)は、ビタミンB6に極めてよく似ているため、ビタミンB6の働きを邪魔して、見かけ上、ビタミンB6欠乏症状を引き起こします。
 ビタミンB6には、体内での様々な生化学反応の酵素の働きを助ける作用があるのですが、そのなかでも神経伝達を抑制する働きがあるGABAギャバ)の生合成をメチルピリドキシン(MPN)は阻害してしまうのです。すると、神経伝達が抑制されず、中枢神経の異常興奮により痙攣などの症状を現してしまう。



 
 本は、掃除が終わって、ジムが開くまで時間があったので、ファミマでコーヒーを飲みながら読みました。


陽性の逆転移と陰性の逆転移
 さて過剰な陽性感情や陰性感情という狭い意味での逆転移についてであるが、これもまたしばしば苦しんでいる患者が理解されなかったり、有効な解釈が与えられない時に起こる欲求不満の間接的な結果である。というのは、償おうとする衝動の分析的に正常な表現手段を妨げられた分析家はそのかわりに患者に対して無意識にある形の愛情を提供しようとするか、あるいは敵意を抱くようになるからである。一方で、患者は分析家の中のこのような感情を刺激してこの過程を促進させているかもしれない。分析家は患者の気分に対する共感を失っているまさにその理由のために、それだけ患者は気分に反応しやすいのであるようで、今や分析家がこのような過剰な陽性あるいは陰性の感情をどんなに細心に抑制しようとしても、患者は無意識にそれを察してしまうようになる。そうして患者の分析家に対する反応それ自体が解釈される必要がある新たな状況が生じてくる。 もし、たとえばその逆転移があまりにも強い陽性感情であるならば、患者は分析家の増大した情緒的な気づかいに対して分析家が患者にまったく情緒的に気づかっていないという不満を述べることで反応するかもしれない。分析家は患者が望んでいるようには反論しない。しかし分析家が患者に引き付けられていて、誘惑への責任を逃れるためにそのことを否認しなければならないのだと患者が思い込んでいるということを患者に伝えることは適切であろう。というのは重要な人生早期のパターンがその中に含まれているだろうからである。子どもの頃、患者の優しい愛撫が両親の一方たとえば母親を狼狽させたことに患者は無意識のうちに気づいていたかもしれない、なぜならば母親はそれによって刺激されることに怯えていたからである。その強く拒絶されたという感覚によって患者は人生を通して長く痛め続け早目にられていたのかもしれない、なぜならば母親を誘惑しようとしたことへの罪業感を消す必要があったからである。もしそうであるならば、転移の中でこのパターンが繰り返されることによって、患者は分析家だけでなく現実の両親の彼に対する態度も再び査定することができるようになるだろう。 しかし、それが気づかれないまま進むなら、そしてその影響が見過ごされるなら、有効に解釈の代わりに無意識に愛情を提供するということが、さまざまに分析を障害するだろう。たとえば、分析家は分割を助長するだろう。それは直接的には自分自身の心、間接的には患者の心でのよい親としての分析家自身と悪い親としての現実の両親との分割である。その結果、患者は両親に対する罪業感に決して気づかないだろう。まさに逆説的であるが、罪業感はもし両親が現実的に悪いのであるならばそれだけよりいっそう強くなるだろう。というのはそれは患者自身のアンビバレンスの程度によるからである。この罪業感が分析の中で再び復活しないなら、患者は、メラニー・クラインによって抑うつ態勢として表現された人生の早期段階、成長する幼児が自分の憎しみと愛情との間の葛藤に気づきそして苦しむようになっていく態勢をワーク・スルーできない。