うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

市民館祭りと、続ヨーガン・レールwと、【さらに特に後期には、陰性感情があらわになったときの患者への力強い支持の感情を語っています。】




 2週続けての台風にもめげず! 予定通り市民館祭りがありました!
室内での開催になった分、重度の方には優しくなったようです。
 おっちゃんは、気前がよすぎるので(笑)親分に出禁にされてしまい(笑)夜勤明けにさせられ(笑)参加できませんでしたが、写真が送られてきました。
沢山商品を頂き景品が豪華だったとのことで、賑やかだったようです。





 金沢21世紀美術館は、ヨーガン・レールの部屋だけ、撮影OKでした!
皆さん撮りまくっておれらました(笑)ので、自分も負けじと(笑)撮りまくりました!
 砂浜に打ち上げられたゴミをこんなに魅力的に出来るなんて、本当に実力がなければできませんね。
自分も拾ってばかりでなく(笑)形にしていかないといけないなと、改めて思いました。






 本は、夜勤明けにファミマで読み、その箇所のアップです。総説だけでも勉強になりますが、まだ総説も読み切れていません。
第1部の1がビオンの『記憶と欲望についての覚書』で、次の文章から始まります。「記憶は事実の記録としては、まずもって誤解をもたらす。それは、記憶が無意識の力の影響によって歪められるからである。欲望は、観察が欠かせないときに心を放心状態にして、判断操作を妨げる。欲望は、判断すべき素材のえり好みと隠蔽によって判断を歪める。〜」
 気が引き締まる文章です!






メラニー・クライン トゥデイ 3』
総説
 クライン派臨床の変化の潮流をもっと詳しく検討してみましょう。第1に、破壊性や自己破壊性を解釈することへの疑問です。クラインとその後継者たちは陰性なものを過度に強調し過ぎるととがめられがちでした。おそらく、このあきらかな強調は、フロイトのケース・ヒストリーが無意識の性的願望と同様に競争心や攻撃性を彼が解釈した多くの例を示しているにもかかわらず、1920年代以前には、精神分析論では攻撃性にほとんど目が向けられていなかったことによっていたと思います。間違いなくクラインは破壊性やそれが引き起こす不安にはっきり気づいていましたし、それが彼女の最初期の研究分野のひとつでした。けれども、彼女は理論と臨床の両方で、愛情の重要性、患者の自分たちの対象群への思いやりや罪業感、償いの重要性も力説していました。さらに特に後期には、陰性感情があらわになったときの患者への力強い支持の感情を語っています。これはなかでも『羨望と感謝』(1957)に明瞭です。自分自身がひどく嫌っていて、それゆえ否認し、消そうとしている感情を受け入れようとしていく患者の苦闘のただ中で、クラインは患者から敵ではなく味方として体験されていたと私は思います。スィーガル(Segal 1982)の言う“バランス”感を与えたこの態度こそが、分析家としてのクラインとのスィーガルの体験のとても重要な所と私は思います。確かに、この種のバランスは、今日のクライン派分析家が意識的に得ようと努めているものです。ですから、この点においては、早期の臨床論文のある著者たちは、クライン自身の業績、なかでも後期の業績から後戻りしています。その頃とは変わりました。死の本能の破壊性の強調にではなく、それの分析され方に変化があるのですが、直面化を減らすとともに、人格のいろいろな部分間の葛藤の微妙さがより気づかれてきています。この変化に影響を与えたのはビオンの業績だけでなく、ロゼンフェルドが強調し続けた投影同一化の交流的側面、さらには、破壊性についての患者の内的葛藤の微妙さに分析家が気づく必要性とゆえにサド−マゾ的アクティング・アウトもしくは別な形のアクティング・アウトに患者に加担して入り込まないようにする必要性についてのジョセフの強調があります。