うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

秋の一日と、【病理構造体は、患者を取り巻く恐ろしい状況に、理想化された天国を提供するように思える。】


金曜日恒例の散歩は、いつものように、初立池公園を約一周半歩き

 午後からは、滝頭公園を40分歩き、約12,000歩でした!
穏やかな秋の一日が過ぎようとしていますが、急な夜勤になりもうすぐ夜勤に入ります(笑)

 やぎさんは、お母さんと娘さんと、書いてありました。

 カメさんも安全・安心感の中で、ゆったりと泳いでいるように見えました。
すれ違った奥様が、奥のほうで鴨が泳いでいると教えてくれました。冬が近づいている証でしょうか?


 本は、早めに出勤してファミマで読んだ箇所のアップです。
臨床になると、より具体的な感じになりますね!

 夜勤に入ります!


病理構造体は、患者を取り巻く恐ろしい状況に、理想化された天国を提供するように思える。倒錯的色あいは、この患者の側の思いやりのはっきりとした欠如と、そしてボーダーライン状態の尊大さに由来する確かな快感と力強さに関連していた。それと対照的に分析家は、分析家がなにをしようとも不満足になるであろうことをご安心患者との経験から知っていながら、関心を抱き続けるよう要求され、極めて不快を感じている。もし、私が患者に電話しなかったら、彼女は私の方へと歩みを進めることができなかったであろうし、分析はかなり長い間中断され、さらには、挫折したかもしれないと私は感じた。一方で、私は、彼女への電話は技法上の重大な誤りであって、あたかも私が誘惑されあるいは彼女を誘惑して、私の利益の為に、私の呼び出しによって彼女に分析に戻ってくるように感じさせたかのように、不適切なこととやっているという落ち着かない感じも抱いた。病理構造体への逆戻りを正当化するために、ときに分析家の欠点こそが利用されるのを見るのはとても興味深い。ここにおいて、私が電話に出なかったのは、私が彼女を失望させたことを意味していたし、このことでベッドと小説への引き込もりを再び安全で暖かいものとして理想化でき正当化できると患者は主張できた。このことは、分析家側のわずかな過ちでも倒錯的な悦楽を刺激するという思いを分析家に抱かせる
〜しかしそのような進展は、彼女が抑うつ態勢に接近し、対象への自分のニードと対象を償う衝動に触れたときにいつも必ず高まった破壊的攻撃に耐える彼女の能力によっていた。実際多少の進展も明らかとなった。そして彼女は美術コースを開始し、運転試験に合格した。彼女は両親ともよりよい関係を結んでです招待することもさらには感謝することもできた。しかしながら彼女の沈黙は分析を通して困った問題であり続けた。そして生産的な期間は、死と不毛の長い期間に挟まれたままだった。 病理構造体が、この患者を妄想−分裂不安と抑うつ不安の双方から保護したその様子は理解できるようである。この病理構造体は、まったくの生でもまったくの死でもなく、しかも死に近い状態で、苦痛と不安が比較的ない状態へと引き込もるという慰めを提供していた。この状態は、彼女が自分の感情から切断され接触がとれないとわかっているにもかかわらず、理想化された。満足の倒錯的な源は多大なものであって、それがこの精神のボーダーライン状態への嗜癖を維持させるよう彼女を促した。パニック発作は、病理構造体の崩壊と、その結果による妄想−分裂態勢内迫害的断片化の再来を表していたようである。抑うつ態勢への移行を表していると思える態度の変化が観察でき、分析上意義ある変化を構成していると解るときもあった。彼女は、一時的にではあっても、病理構造体への依存を放棄し、分析家としての私との関係を作り上げることができたようだった。しかし、このふれあいも、たとえば私が彼女に小切手に関するアンビバレンスを解釈したときのように、とても脆うく、そして素早く切り離されるのは明瞭なことだった。