うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

『田原の魅力体験ツアーと、【こうした理解を通じて、私たちの強迫機制の作用の理解はある程度前に進むわけだが、しかし、心的生活一般におけるその重要性に関する神秘の確信に未だ達することにはならない。】


昨日、図書館に行ったときに見つけたポスターです!
JCの方も中々ステキなツアーをされますね!行って見たいですが、日曜日は無理ですね.......。


 夜勤明けで、浜松まで所要で行っていたら、丁度用事が済んだ時に現場から呼び出しがあり、13時くらいに戻れました。
何とか用事を済ませて、帰宅しました。相変わらずねこさんは、寝てばかり.......。

 寒暖差が激しく、寝具や衣類の選択が難しいですね.....。体調を崩されている方もおられますので、皆様もご自愛くださるよう、お願いいたします。

 夕方も、自転車を取りに行ったついでに、少しだけ難しい方の入浴介助をさせていただき帰って来ました。年度末、年度初めは、頭が悪いのでw 事務仕事を山積させてしまい、大変になりましたが、一息つけるようになったので、バンバン現場に入らせていただきます。
明日は、沢山歩ける日ですが、お天気は良かったでしょうか?

 自転車を、親分に盗られたので(笑)、自転車を買ってもらいました! 整備ができたと、帰宅したら自転車屋さんから電話があり、歩いてもらいに行って来ました。親分に譲った方が値段が高いのですが(39,000円でした)、新しいのでまあいいっか(笑)29,000円が元値ですが、ライトなどなかったのでつけていただきました。ロックがなかったので、親分に譲ったほうの物を一つつけました(笑)見てくれが高そうなので、120,000円もしたって(笑)自慢しましょうか?
 通勤が楽しくなりそうですが、入梅間近.......。雨の日は歩きます!



 何やかんやと、明けでも仕事が入り、少しバタバタしましたが、何とかルーチンを守りました(笑)ギターも少しだけですが弾きました。




〜さて、自閉症という特殊な機制に関しての、そして一般的には強迫機制に関しての私の主張は、それらの機能様式はギーチのいう意味での「心的行為」を遂行する能力に対する攻撃を含んでいるということである。自閉症の子どもはこのことを「共通感覚」(ビオン)、つまり意味が付与される、統覚的な知覚を経験する能力を「分解することによって成し遂げられるのに対して、強迫機制のより原始的ではない形態は、心的活動全般の中断を目的とするのではなく、心的活動のより特異的な布置を攻撃する。しかしながら、この言明の意義は、「意味」はその本質上情動的なものであるということを認識して初めて理解可能になる。こうした概念化は、バートランド・ラッセル(Bertrand Russlle)(『意味と心理への探求』)というよりも、スーザン・ランガー(Susanne K.Langer)(Philosophy in a New Key,Oxford.1951)の考えに従っていることが分かるだろう。換言すれば、自閉症という特殊な機制においては、一般的な強迫機制の場合と同じように、本質的な活動様式は、経験の萌芽を「共通感覚」の水準以下の単純化の状態に分解することによって意味を持たないものにし、情緒的な意義を「包含する」(ビオン)「象徴形式」として機能することができず、ただ、さまざまな諸部分を見出せるだけにしてしまうことを目的とする。私は、これら後者のものがもっと洗練された場合はビオンの「奇怪な対象」国際精神分析誌38巻,1957)に近似していると推測する。


こうした理解を通じて、私たちの強迫機制の作用の理解はある程度前に進むわけだが、しかし、心的生活一般におけるその重要性に関する神秘の確信に未だ達することにはならない。むしろ私たちが論じていることへの含みは、対象の万能的な支配と分離によって活性化が一時停止され、経験が出来事へと単純化される限りにおいて、情動性は損なわれるということである。そして、これが問題の核心であり、このような規制が心的苦痛に対する防衛にとってこれほど簡単に用いることができる理由なのである。しかし、このような規制の防衛的な使用は二次的なものであって、それより重要な第一の機能は、一般的には精神分析的な探求法からはむしろ隠されているのだが、情緒発達と知的発達の間の高度な統合の達成にとって中心的であることを特に主張したいと思う。〜