うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お薄と、夜景と、【コミュニケーションが生じるためには、これらの内的な変形、すなわち内言は、十分な心的現実性を有し、かつ自己から適切に分化している対象を見つけ出し、この内的な過程を声に出すことが必要となるようにならなければならない】


 今日は夜勤です。朝一、健康の為(笑)歩いてマックまで行ってコーヒーを飲みながら小一時間本を読んで、歩いて帰ってきて、事業報告関係の書類に目を通しながら、バンドクラブの新曲のCDを作っていたら、もうこんな時間!取り敢えず、お薄を点てて休憩しました。
 これを打ち込んだら出勤します(笑)



 先日、ひーひー王子との夜の散歩で、出会った風景です。普通の家の普通の夕方ですが、その普通と言うのがいいのですね!  自分はあまり普通と言うものに接する機会が幼少期からなかったので、余計に惹かれるのでしょうね。


 まあ、こちらもボケていますが(笑)素敵な夕方でした。
何事もなく一日が過ぎて行く素晴らしさを、皆さん忘れておられませんか?




 下記は、マックで読んでいた箇所ですが、核心に迫っているように感じていますので、最後まで読みたいなと。やっと思いました(笑)何度途中で止めようかと思ったことか......。

第7章 幼児期自閉症統合失調症、躁うつ状態における緘黙症:臨床精神病理学言語学との相関関係
ドナルド・メルツァー

 精神分析実践は、話す機能にあまりに依存しているので、話すことにひどい障害を持った人たちと出会うまで、私たちはそれを少し当然のことだとみなしてしまいがちである。そのような状況に出会うと、言語化とその外的現れである発声がどのような内的な心的活動を伴っているのかについて、それを臨床的使用できるように概念化していくことを精神分析家たちはこれまでほとんどしてこなかったことに気づかされる。本章は、この問題について書かれているものであり、面接室やプレイルームで使われることが重度なので、言語学の近年の研究を利用するからと言ってその代わりにその分野に何かお返しができるものがあるとは主張できない。しかしながら、臨床的な題材に向かう前に、本章の概念の主要な出典について、最初に言及しておくことは適切なことである。用いられた言語機能の定式化は、以下に挙げる人々の仕事に基づくものである。すなわち、バートランド・ラッセルのさまざまな抽象レベルにおけるメタ言語の概念、ヴィドゲンシュタインの人間の「自然史(natural history )」としての言語の考え方である。深い言語と表面的な言語を区別するものとして、ヴィドゲンシュタインの「深層」言語やチョムスキーの「深層文法」にあてはまると解される、スーザン・ランガーの言語の音楽的基礎の考えが挙げられる。また投影同一化を心の状態のコミュニケーションのための原初的様式として用いるというビオンの考えがある。それら心の状態が「深層」言語と文法の内容であると解される。この論考は、心と脳は同じであるという考えに賛同するものではなく、その理由からゴールドシュタインの失語症の観察を用いたメルロポンティのような神経病理学を基礎とした考えや、子どもの学習を「1-音素-1-単語-1-文章の発話」から始まるとして仮定するような(例えば)ローマン・ヤコブソンがさらに進展させた発達的な視点とは一致しないことをここではっきりと述べておいたほうが良いだろう。 だか、さらに理論的論争に時間をかけるよりは、むしろ臨床的発見を示していき、それが言語機能と発達の理論や発声と言語化の理論を潜在的に内包していることを示した方が良いだろう。このアプローチは、幼児自閉症に焦点を当てた側面作業と要約されるかもしれない。臨床的現象学の記述ではなく、二人の統合失調症患者と、一人の躁うつ病患者からの臨床素材が、その障害の緘黙につながる、言語機能の五つの要因を明らかにする。それからこれらをまとめて、幼児自閉症においてはこれら五つの要因すべてが作動しており、ゆえに発話がこれらの子どもの「自然史」の一部になることを妨げていることが示される。 
 これらの五つの要因は、次のようなものである。これらは、一つだけで作用することもあるが緘黙の傾向のある精神疾患においては複数が相前後して並列に作用したり、同時に一度に作用したりすることがある。


(a)単に排泄の必要としてではなく、何らかの手段でのコミュニケーションをおこなうのに適した夢思考を形成するための十分な心的機能が整っていること(ビオン)が必要不可欠である。

(b)夢思考を言語に変形する装置が存在しなければならない。この装置は、内在化された話す対象から構成されている。この話す対象から、そしてこの話す対象に同一化(自己愛的同一化あるいは摂取同一化いずれかの過程による)することによって、心の状態を表現するための音楽的深層文法は学習されうるのである。

(c)子どもは、早期の喃語の衝動がまだ強い時期に、外界を表現するための語彙を増やしていかなければならない。そうして、より深層の音楽的な言語層の上に、この表層的で語彙的な言語を重ね合わせるという技巧を発達させることができる。そしてこれによって、外界についてコミュニケイトすることが可能になるのである。

(d)コミュニケーションが生じるためには、これらの内的な変形、すなわち内言は、十分な心的現実性を有し、かつ自己から適切に分化している対象を見つけ出し、この内的な過程を声に出すことが必要となるようにならなければならない。

(e)他者とコミュニケーションしたいという欲望が、夢思考形成の継続過程を維持するのに十分あることが必要である。 


これらの要素は、これから示していく臨床素材でさまざまな形で例証されるだろう。たとえば、シルビアは、若い躁うつ病患者であるが、コミュニケーションしたいという欲望の喪失、(e)や夢思考を言語に変換する過程の弱さ(b)を例証する。対して、フィリッパは、青年期の妄想型の統合失調症で、内言を声に出すことが無意味になる妄想対象の形成過程を明らかにする(d)。そして最後のジョナサンは、青年期の緊張型統合失調症であるが、患者が夢思考形成の機能を再開するための十分な転移関係を集められた(a)ことで、喃語の過程が進み(c)話す対象の摂取が行われた(b)という回復の流れを示す。