今日は午前中、少し前から、ホームの方たちと約束していた、志都呂のイオンに行って来ました。
皆さんの送迎時間に合わせていたら、着いたらお昼でしたので、席の確保をまずして(これが中々大変.....)から皆さんが食べたいものを、ぐるっと回りました。
うどんや、とんかつ、カツカレーと来て、なんと!うなぎ丼と言われる方がいて(お昼は個人負担なので)食べられていました! おっちゃんは、お昼代をもらっていなかったので(笑)きつねうどんにしました。300円!(笑)
美味しかったです。
お昼から入られる方がいるので、食事をしてから、帰る途中にある、道の駅で足湯に入って帰りました。
気持ちが良いのか?中々出て頂けないので、少し焦りましたが(笑)何とか間に合うようには帰りました。
午後からは、女子だけでお薄を頂きに、池ノ原に行き、蔵王山に車で上がって、景色を眺めて来ました。
男子は、帰宅される方は行けませんでしたが、すろーじゃむの湯に入って来ました!
こちらも中々出て頂けませんでしたが(笑)
イチゴを採ったり
ブドウの誘引・結束・芽欠きをしてきました。
イチゴは次回で終わりそうです!
夕食にも沢山でましたが、ホームの方々はもう一杯のようでした.....。
17時に勤務が終わり、歩いて帰宅し、途中リンゴが無性に食べたくなり、パワーズで一つだけ頂き、家でかじっていたら、現場から連絡があり、遅番の職員さんが体調不良とのことで、飛んでいきました!
大事に至らず、20時過ぎまで現場にいて、帰宅しました。
まあ、夜勤が親分なので、心配はなかったですが(笑)
アップは、朝早く出て、ファミマでコーヒーを頂きながら読んでいた箇所です。
この章は、症例が他の症例とは違い、(特に前章とは)成長が目に見える(時間はかかっていますが)ので、文章にもなり易いのか?非常に分かり易く、勉強の材料にはもってこいの章のように感じます。
下記は、現場では本当に真剣に利用者さん達と向き合わないと、表面的な事だけですべてを判断してしまう恐れがあると、示唆してくれている感じがしました。
『心理療法の2年目の間、彼は、強力な執拗さでじわじわと私を支配することに取り組んだ。振り返ってみると、彼は意図的に私に十分な関心と多様性を提供しようとし、そうすることで私を幸福にし、変化の錯覚を生みだそうとしたようであった。しかしその一方で密かに発達が停止したままになるようにしていた。』
下記も上記の様な感じがしましたが、上記よりももっと深く入り込まないと見えてこないような気もしました。
『このような活動は最初、摂取過程の働きを意味しているように見えた。後に、ピフィーにとって彼の活動が象徴等価視であると理解された。つまり、彼にとって摂取は文字通り、分類収集のように体の一部にする過程であった。』
原始的強迫機制
〜心理療法の2年目の間、彼は、強力な執拗さでじわじわと私を支配することに取り組んだ。振り返ってみると、彼は意図的に私に十分な関心と多様性を提供しようとし、そうすることで私を幸福にし、変化の錯覚を生みだそうとしたようであった。しかしその一方で密かに発達が停止したままになるようにしていた。
とりわけ彼の強迫機制が露呈している二つの活動について述べたい。一つは、部屋にある物を彼がトレースし、描くことに関わるものである。彼が床の上で紙に絵を描いている時、偶然彼は、影になったエリアが紙の下にある髪の毛の形を浮き彫りにすることを発見した。彼はこれに興奮し、このトレース作業を「カーペット」と呼び、数か月もの間ほとんどのセッションをそれに費やした。彼は、あらゆる色と色の組み合わせを用いながら、床のヒビと釘の頭を見つけ出すことに特に関心を寄せた。彼は、ヒモ、消しゴム、ハサミなど、あらゆる組み合わせを試し、それぞれを紙の下に置いてみるという実験をした。彼はまた部屋にある物の絵、たとえば、消しゴムと鉛筆が別々であったり、二つの椅子が別々であったり、一緒だったり、横から見た椅子やさかさまの椅子、カウチの上の椅子、洗面器の中の椅子、ゴミ箱の中の椅子などを際限なく描いた。このような絵は、後の数年の間ずっと大切にされ、何度もまた取り出して描き加えた。これらは修正されたり、追加されたりし、ボロボロの端は切り整えられ、本の形にまとめられ、再び違う分類方法に従って、他の本にまとめるために切り離された。後に文字が書き加えられるようになり、文章のそれぞれの単語は、枠の中に封じ込められ、文の流れからは孤立していた。そのような活動は、彼にとって日記や記憶の倉庫のようなものを形成した。それらはまた、彼の内的、外的な母親対象から獲得した戦利品の博物館のようであった。
これらは、具象的な形態の摂取を示している。時々「やれ!やれ!」と執拗に独り言をいいながら、彼は、私の文字通り髪の毛一本一本を乗っ取っていた。床のヒビを紙で覆い、その上からクレヨンでこすりつける時、彼は、そのヒビの中に自分自身をこすりつけて中に入っていくと同時にそれを紙に釘づけにすることでその所有権を得ようとしているようであった。そして紙に留められたそのヒビは、入念に手入れされているけれども、孤立し、不滅のままであろう。
このような活動は最初、摂取過程の働きを意味しているように見えた。後に、ピフィーにとって彼の活動が象徴等価視であると理解された。つまり、彼にとって摂取は文字通り、分類収集のように体の一部にする過程であった。〜