うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

野の花と、【主に外的対象が母親への依存に取って代わることを母親が容易く認めてしまうと、どうしても移行対象をフェティシズム的な慰み物として倒錯的に用いることを含んだ、強力な自己愛的組織化が形成される段階へと向かうことになりやすい。】


 今日は夜勤なので、総会の書類をまたまた見直し、事業計画書などの数字を直しました。
予算を立てるというのは、本当に重要な仕事だと思うようになりました。
 山に入って何か一枝頂こうか?とも思っていましたが、本とギターの日課も少しだけしかできず、断念しました(笑)ギターは、何となくサンタナのSamba・pa・tiのメロディーを思い出しながら弾いていました。高校生の時にレコードを聞きながら音を拾っていたので、何となく半分くらい弾けました、たしかドリアンスケールでしたね。ペンタトニックとブルーノートしか知らなかったので、最初とまどいましたが(笑)まあ、基本はドレミファだよね!って開き直ったら弾けるようになったのを今でも覚えています(笑)
 哀愁のヨーロッパのブリッジの部分も諦めたころに急に弾けるようになっていたり(笑)そんなフレーズは今でも弾けます(笑)
 長くなりましたが(笑)敷地内に咲いていた花をざくっと投げ入れてみました(笑)。野の花はあまり考えないで入れる方が好きです。

本はメルツァーがやっとセクションBに入りました。難しくてググりながら読んでいるので進みません....。
サリヴァンも最初は全然進みませんでしたが、3冊目くらいからやっと進みだしました(笑)

 下記は、皆さんお馴染みのサヴァン症候群のことですね!
坂本竜馬アスペルガーだったとか、偉人の誰それがっていうのをよく聴きますね!

『多くの科学者が、幼少期は自閉的であり、ポスト自閉状態パーソナリティを持っている可能性が非常に高いのである。ポスト自閉状態パーソナリティを自然に展開させればサヴァン症候群のような人生になるだろう。』


 その方に必要なアイテムも使い方次第ですね。水戸黄門の印籠みたいな使い方をしている職員さんをよく見ます(笑)が、スマホ依存症の方も多くいそうなので、障がいの有無は関係ないのかもしれませんが....。

『すなわち、移行対象は確かに子どもが対象関係の中で意向を成し遂げていくのに経済的に役立つかもしれないが、フェティシズム的な意味合いを帯びて倒錯的な性質を孤立させる焦点として用いられる危険性もあるのだと。分解の機制が事実上、移行対象の形成の基礎になっているように思われる。』

 これは現場でも気をつけないといけない事だと思われます。
本当にその方が必要としている支援を真剣に考えながらしないと、余計にお互いが大変な思いをしてしまうことにもなりかねませんね....。

『主に外的対象が母親への依存に取って代わることを母親が容易く認めてしまうと、どうしても移行対象をフェティシズム的な慰み物として倒錯的に用いることを含んだ、強力な自己愛的組織化が形成される段階へと向かうことになりやすい。』

 夜勤の時間が迫ってきたので(笑)行って来ます!


b,自己と対象の組織化
〜先に述べたように自閉所の子どもは、通常の諸感覚モダリティの共感覚的なつながりを解離することのできる力を相当持っているように思える。共感覚的つながりをつくりだす、この通常の機能を、ビオンのアルファ機能の定式との関連で考え、感覚データーを操作可能な考え、すなわち考えることのできる考えに変換する心的機能との関わりで見たくなる。しかし、それとは別の性質の機能不全について指摘したい。それは感覚的な事象が、単に楽しむだけに適していて、経験として理解されることはなく、ゆえに思考の操作、そしてコミュニケーションにつながりえない類のものなのである。私たちの見解ではこれらの事象は、排泄だけに適したビオンのβ要素とも異なっている。〜

緊張病におけるように、どのようにして良い対象をコントロールの下におき、かつ分離した状態に置きながら、パーソナリティの破壊的部分からのサディスティックな攻撃に曝されるようなことも弱められることもなく、保持できるのだろうかという問題である。たとえばこれと同じ原理で、具体的なつながり(一つの鎖につながれた囚人たちのような)や抽象的なつながり(秘密結社のような)などの束縛によって結びつつけられられたグループと、(あらゆる種類の制服の場合のように)単にメンバー全員によって相互に認識されているのを目的にしたつながりとは、明瞭に区別できる。後者のやり方は、好意が強制されたり制限されたりするのではなく、認識されるという点で――つまり知覚的に――グループを定義するやり方である。実際には、外的世界でグループを構成するには両方のやり方が組み合わされて用いられる――たとえば、聖職者の衣装と親善での誓願といってように。それは、本質的に、動物が自分たちを他の動物から見分けたり、捕食者を区別したりする過程を継続しそれを拡大したものである。寓話のネズミたちはその所在をつきとめるためにネコに鈴をつけたがる。つまり彼らは、捕食者を見分けるために遠感覚を用いるのである。逆に彼らはもっとも親密な関係性を近感覚で選ぶのかもしれない。敵を認識するために遠距離の基準を確立したり、近距離を友情や愛情のしるしと決めたりするのは、本質的に一般的なやり方である。分裂過程によってバラバラにされてしまうのは、まさしくこのシステムであり、それを過度におこなうことによって、適応能力が犠牲になってしまうのである。

〜重要な点は、このような過程が起こると、自閉症の子どもは、親密な関係性から見れば欠陥のある対象をとり入れてしまうことである。〜

〜そのため、ポスト自閉状態パーソナリティの強迫性の特性は、対象の万能的なコントロールと対象同士の分離を経験するために特定のやり方で自己を分解してしまう傾向と、その結果として、世界を構成するさまざまな要素がつながる仕方についてあれこれと考え続けるこだわりとの混合物であるとも言えるだろう。それは本質的には疑似科学的だと言うことはできるが、子どもが大人になった時に科学的活動につながっていく可能性を過少評価してはいけない。多くの科学者が、幼少期は自閉的であり、ポスト自閉状態パーソナリティを持っている可能性が非常に高いのである。ポスト自閉状態パーソナリティを自然に展開させればサヴァン症候群のような人生になるだろう。

〜ドナルド・ウィニコットはのちの著作の中で、移行対象の形成がたいへん曖昧な意味を帯びていることを認めている。すなわち、移行対象は確かに子どもが対象関係の中で意向を成し遂げていくのに経済的に役立つかもしれないが、フェティシズム的な意味合いを帯びて倒錯的な性質を孤立させる焦点として用いられる危険性もあるのだと。分解の機制が事実上、移行対象の形成の基礎になっているように思われる。

移行対象の形成は、パーソナリティの発達にとっても非常に危険な作用であり、その成果はきわめて壊れやすい均衡の上に掛かっていて、主に外的対象が母親への依存に取って代わることを母親が容易く認めてしまうと、どうしても移行対象をフェティシズム的な慰み物として倒錯的に用いることを含んだ、強力な自己愛的組織化が形成される段階へと向かうことになりやすい。