今日は夜勤明け、何をしていたのか?思い出せず(笑)給与計算に入りました。
先日したように感じてしまい、本当に月日が過ぎるのが早いなと、実感しました。
帰ろうと思ったら、黒檀の棗を頂いたり、あんまき(餡がほんまもんでした!)を頂いたので、お薄を点てさせて頂きました。いちょうがまだ頑張っているので、次はまだまだ入れる事ができなさそうです(笑)
根が生えてこないかな?とも期待しています(笑)一年前は、ひさかきをこの花器に挿していたら、全然しおれなくて、抜いてみたら根が生えていました。
給与計算に入るまでは、本を読んだり、うとうとしたり(笑)、ギターを弾いていたり、まんじりと?していたように思います。
アップは昨日読んでいた箇所です。
下記は、フロイトと一緒にしたら怒られますが(笑)自分は抑うつが酷い時に、まともな事を言っている様で(笑)抑うつを訴えても誰も信じてもらえなかった時期がありました(笑)その時期は曲を一週間に10曲作っていたり、入賞するような作品を作っていたり.......。知らないうちに、無意識の中に入ってしまっているのでしょうか?自分でも不思議です。
『「先週、ひどく働いた晩があって……私は、不快で苦痛な状態だったのですが、そういうときに私の頭脳は一番よく働くのです」。』
まあ、フロイトが好きでなかったら、興味ありませんね(笑)
探していた本が、やっと見つかったので、その本が来たら、そちらに入ります(笑)
自分の中では、フロイトを読むのはライフワーク的なところがあるので、フロイト関係のほんは、ゆっくり・じっくり読ませて頂きます。
明日は家族会と夜勤が自分の仕事です。ゴールデンウィークに入れる職員が少ないので、入れる職員で頑張ります!
〜ヨーロッパ人の感性のなかで、内的なディスクールに親和性をもつ黙想と内省の技術が衰退したとき、精神分析は発展した。今日では、公然と流されるおしゃべりや広告が、ますます内面的な言語を衰弱させていっているように思える。
フロイトは(生前に書かれた、文字通り何千通もの手紙を別にしても)まったく多産な人であり、彼にとっては、各行為そのものがとりわけ重要だったということは驚くに当たらない。だから、ゴシック体ではなくラテン字体で書いて欲しいとの求めに従ったときには、彼は通信が妨害されたように感じた。彼は、文章の流暢さやひらめきや個人的な親近感は手書きのゴシック体によってもたらされる、と思っていたのである。フロイトは、1909年に突然書痙に襲われたのを前立腺肥大のせいにしたし、1938年には泌尿器の障害によって筆跡がめちゃくちゃになったと思っていた。その尿道の意味が何であれ、フロイトは「書くこと」に象徴的な父性的価値を置いていた。「創造的な芸術家は、その作品に対し父親のような感情を抱くことは間違いないところである」(標準版11:121)。フロイトの場合、書くことが有するリピドーの力価は、神経症の場合ほどコントロール不能で破壊的な水準ではなかった。神経症者にとって、「書くこと、それは液体を管を通して白い紙に流すこと」(標準版20:90)で、あまりにも強く性愛化されており、自我の統合的な機能を阻止してしまう。緊張をほぐすため婚約者やフリース(W.Fliess)宛に、後の手紙には見られないようなやり方で手紙を書いていた時期にさえ、フロイトはきわめて重要な科学的な諸論文を何とかまとめ上げることが出来たのである。
フロイトの書くリズムはかなり不規則だった。一週間とか一か月の間一行も筆が進まないと思うと、一日に2,3行ずつ書き始めて、今度は爆発的に書き出す、といった具合だった。その最も顕著な例として、6週間のうちに五つのメタ心理学的なエッセイが書かれたときのことが挙げられる。この活動の爆発は、ジョーンズの意見によれば、科学史上他に例をみないものであった。もし証拠がなければ、フロイトの場合、気分がすぐれないときに最もその創造力が高まるということを、われわれは推測できなかっただろう。しかし、この驚くべき事実に関する証拠がちゃんと存在する。彼は友人フリースに次のように書き送っている。「先週、ひどく働いた晩があって……私は、不快で苦痛な状態だったのですが、そういうときに私の頭脳は一番よく働くのです」。また、一方で家庭内の心配事で手紙を書きたくなくなったときにも、他方で「[二つのエッセイを]書くことによって気晴らしをする」よう駆り立てられたこともある。そして、ナチスのオーストリアへの侵入によってヵれが二人の患者と別れることになったとき(「意識がわずらわされているときには、無意識に興味を持つなんて誰にもできない」)、彼は依然として『モーゼと一神教』を書き続けることができると主張したし、その作品は「オーストリアの状況と何らかの関わり」をもったものとなった。
おそらくフロイトは、書いてしまうまではその経験を十分同化できないと感じたゲーテ(J.Goethe)と似ていたのだろう。〜