うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

桜が咲いた!と、【よほど経験を積むまでは、このような子どもに同一化することに基づいて治療をしている場合、それによってかきたてられる激しい原始的恐怖と興奮を包容することは難しいからである。】


 桜の蕾が、開きだしました!

 明日には、全て開きそうですね!
今日は朝から16時に遅番に入るまで事務仕事をやっていたので、遅刻しそうになりました(笑)
本当に時間があっという間に過ぎて行きます......。

 現場も事務も、両方大事な仕事です。どちらが上とか下とかないです。
取り敢えず、法人の事業報告に方に専念できる状態にはなりましたが......。これからが大変です(笑)
大分、助けて頂けるようになりましたが、仕事量が半端ではなくなってきたので、何とか5月まで頑張ります!

 20時過ぎに帰宅して(笑)ひーひー王子と約30分散歩して、日課のロックを少し弾いて(運指の練習だけになりましたがw)これをやってから寝ます(笑)

 早朝に家を出て、ファミマでコーヒーを頂きながら、読みながら打ち込んでいた箇所ですが、第11章を何回も読み返しているので、昨日の箇所より少し戻ってしまっています(笑)読んでいると全てが大切な箇所に思えてきて、いけません(笑)

 下記は、母さんたちだけでなく、古い職員さん達は、自分だけがその利用者さんに通じる言葉を持っていると自慢げに支援していたりしますが、その職員がその方の一生を背負えるわけではないので、汎化できる方法をみんなで考えた方が、その利用者さんの為になると思われます。
 仕事とは、ニーズに応えることだと思っていますし、自分の存在が欲しいのなら、現場を離れてやってほしいなと思う時が多々あるのは、悲しいことですね......。


『このような子どもの母親たちは、子どもからのコミュニケーションにうまく反応できないでいるというよりも、むしろ通常のチャンネルを通さないコミュニケーションにもあまりにもすばやく反応しすぎている。つまり彼女たちは、そのような反応様式をとうに放棄すべき時期に、自分の体が子どもの一部であり子どもの体が自分の一部であるかのように、あまりにも「テレパシー」のように身体的な様式のコミュニケーションに反応しすぎたのである。これは、子どもが他の人間と触れあうより普通のやり方を発達させるのに「怠惰」になる一因となる。』

 これだけでなく、全部が金言のように思えるのは、自分が未熟だからでしょうか?






解釈
 〜コミュニケーションできる能力がないことで、病理的自閉状態の恐怖は増す。患者が、目に見えない、名づけようのない恐怖に姿と形を与えることを可能にするイメージ喚起的な象徴的表現を用いはじめることができるようになるまで、治療者はこの点で患者の代行をしなければならない。そのような恐怖は、心の深部からやってきて、私たちすべてを悩ませているものなのである。他の患者との経験に基づいた治療者の直観、そしてその特定の患者によって治療者の中にかきたてられたさまざまな感情は、分析家やスーパーバイザーや同僚との間でチェックすることが望ましいが、それらが、この困難な最初の時期の間、解釈の発想源となる。子どもの振る舞いについて他者とじっくり話をすることができることは、治療者にとって大切なサポートになる。というのは、よほど経験を積むまでは、このような子どもに同一化することに基づいて治療をしている場合、それによってかきたてられる激しい原始的恐怖と興奮を包容することは難しいからである。
 治療者の直観を他の治療者との間でチェックすることが重要なのには、もう一つ別の理由がある。非常に頻繁に見られることなのであるが、このような子どもの母親たちは、子どもからのコミュニケーションにうまく反応できないでいるというよりも、むしろ通常のチャンネルを通さないコミュニケーションにもあまりにもすばやく反応しすぎている。つまり彼女たちは、そのような反応様式をとうに放棄すべき時期に、自分の体が子どもの一部であり子どもの体が自分の一部であるかのように、あまりにも「テレパシー」のように身体的な様式のコミュニケーションに反応しすぎたのである。これは、子どもが他の人間と触れあうより普通のやり方を発達させるのに「怠惰」になる一因となる。他の人間と触れあう際のこのような異常なやり方は、自閉過程に関する章で述べたが、他者と「ともに感じる(feel with )」ことのできる力を過度に用いることに基づいているように思われた。したがって、自閉症児との仕事の場合、子どもの素材の中に見出だされる解釈の証拠は神経症児との仕事の場合よりも貧弱なものであるとしても、治療者は、そのような証拠に基づかない解釈をする。「魔女的な」傾向を控える必要がある。これによって子どもの魔術的な信念を強化することを防ぐことができる。これは、逆転移のあらわれを考慮しないということではなく、単に逆転移のあらわれを考慮することは一定の範囲に留めて、子どもに解釈することは必要であれば子どもにも、そして他の洞察力のある専門家にも示すことのできる(素材の中に求められる)証拠に基づくということであるもの〜