うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、「存在の核心にある張り裂けた心」(『自閉症と小児精神病』より)





 今日の日中は、カラオケと外食に行っていたようです!
みなさんスッキリした顔で帰って来られていました。



 おっちゃんは、夜勤の入りついでに送迎があり、池之原に寄ってからうたたねに入りました。
外出しなかった、はる君とかおちゃんでお薄を頂いてきました!
 お菓子は桜でしたが、東京・横浜・福岡が開花したようですね!
常春の渥美半島は、もう少しかかりそうですね!


自閉症と小児精神病』を事務仕事やりながら(笑)読んでいましたが、昨日読んだ箇所のアップです。
最初からドンと重く言葉がのしかかってきました.......。
 現況報告のチェックを夜勤に入る前にして、時間がまだあるので打ち込みました(笑)
10分くらいあればこれくらいは打ち込めます。
仕事に入ります。




自閉症と小児精神病』

自閉症と心的外傷
  外界の人々や物や機関を、「自分−中心」の目的のためのチェス盤の上にある、体の延長のような歩のコマとして扱う。……これが宗教や党派や差別による源泉の一つであり、その目的は、自分の持つ観点以外のものすべてに対して、「狭量である(目隠ししている)」ことを続けることによって、「自分でない嫌な(not-me)」部分を寄せつけないことにある。このように了見の狭い帰属意識は、一見忠誠的であるが、深い意味では決してそうではない。第3章の自閉症のデービッドのように、狂信者は主に外界の表層に関心がある。皮膚の色や、政治的傾向や、理論的用語の細部や、宗教上の形式や儀式などの、表面的な特質が深い意義を持つとみなす。……狂信者は、輪(circle)の不完全さを創造的な努力を刺激するものとして用いる代わりに、輪を完成することを目的とする包括的なシステムで無理矢理人生を生き抜こうとする。彼らは不自然なまでに完璧で包括的なシステムを自分自身や他者に押しつけようとする。……自分たちと異なる人々は、邪悪で、堕落しており、どうしようもなく誤っているというわけである。ポロニアスのように、偽りの見かけに隠れて人を操作するずるい指導者は、同様の恐怖を寄せつけないようにしているのである。……これら「正常な」タイプの人々は皆、外界を自分の傷ついた脆い部分を守るマントとして用いるためにそれを操作している。根っこのところでは、死よりもひどい恐怖があり、彼らが機能していくことそのものが、他の人々にいかなる犠牲を強いようとも、必死に自分が傷つかないようにする試みに基づいているのである。(本書pp.99-100)




結論


 私は、次のような問いを発し、結論としたい。すなわち、人間存在の核心に張り裂けた心があるという信念は、理論から導き出されるものだろうか。タスティンが全著作を通じて引用しているキェルケゴールの『死に至る病』に一説を再び読んでみよう。

……何等かの意味で何ほどか絶望していないような人間は一人もいないといわなければならないであろう。その最深の内奥に動揺・軋轢・分裂・不安の在しないような人間は一人もいない、――不安、知られざる在る物に対する不安、それを知ろうとすることさえも何となく怖ろしいような気のする或る物に対する不安、生存の或る可能性に対する不安または自己自身に対する不安、かかる不安の存しないような人間は一人もいない、――こういうふうに人間は(医者が人間は自分のうちに病気を抱えているというような意味で)精神の病を自分のうちに抱いて歩きまわっているので、病がそこにあるということが、時々電光のように、彼自身にも不可解な不安のなかでまた不安とともに、示されるのである。(斉藤信冶訳『死に至る病岩波書店)〜