うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

夕方の散策と、【自閉症と児童期の統合失調症】(『タスティン入門』より)


 今日の日中は、昼食後、伊良湖まで行き、恋路ヶ浜を散策しようと思い、皆さんで行きましたが、駐車場が混雑していて、あきらめドライブだけになりました。
 途中で水分補給をし、うたたねに戻りましたが、大清水までの送迎があり、元気のいい方々が、しっかり車にスタンバイ(笑)されていて、送迎の帰りに、表浜の海岸に行きました。
 明日、春分の日で、日が長くはなりましたが、16時過ぎると少しずつ暗くなってきました。

 風が強かったせいか?禅宗寺院の庭のような砂紋ができていました。
改めて、禅寺の庭のように感じました。

 明日の日中は、豊橋の工場見学に行くようです!
明日の楽しみですね!


 今朝も早めに出勤し、ファミマでコーヒーを頂きながら、『タスティン入門』を読ませて頂きました。
今回の本は少し古典ですが、勉強になる箇所だらけなので、少しずつアップさせて頂きます。
 最後の赤字の箇所を期待しています。第4章に入りました!



『タスティン入門』S・スペンスリー著・訳:井原成男・解題:木部則雄より
第2章 異様な子どもたち
自閉症と児童期の統合失調症
 〜子どもの発狂や異様な行動に診断をつけようとする泥沼状態から抜け出す、はじめての特記すべき進展は1943年、幼児期の自閉症に関するカナーの描写から始まった。そこには、ただ狂っているだけに見える精神病的な子どもの世界にも、隠された意味と秩序のある可能性が示唆されていた。この結果、精神病の子どもはその起源を、学習困難を伴う障害と、異にする者として区別されるようになった。
 カナーの研究は、まもなくマーガレット・マーラーに受け継がれる。マーラーの試みは、乳児の精神の精密な構成の明示には失敗するのであるが、1949年その経験に基づいて、子どもの精神病的な症候群の分類を開始した。マーラーは「共生精神病」という概念を導入し、他者との人間関係はある程度もてるのに他方では未熟で混乱してしまっている状態と、カナーが「極端な孤立」と呼ぶ、他者に無関心な自閉症の2つを区別した。マーラーとその共同研究者は、1950年代のほとんどを、幼児の発達における病理学の要因を追求する大規模な調査に費やすことになる。マーラーは多くの健常児と障害児を研究した結果、母親おるいはその代理との共生的経験は、健全な心理発達にとって基本的な必要条件であると結論する。マーラー心理的子宮を提供する母親との共生結合が、赤ちゃんの心理的発達を促進し、これによって精神的世界に向けての覚醒が出現すると考えた(Mahler et al.1975)。 心の誕生は、子どもが必要とするものや子ども自身に対して、母親が行う身体的なケアと深く関係する。自己や自己の境界の感覚ができるためには、母親の身体的援助が欠かせない。ビオンも述べるように「自己」は、身体の中に存在する精神のみでなく、身体にも精神にも帰属している。フロイト的伝統(Freud 1923)を継承したマーラーは、安全な心理学的誕生が、健康に生まれるさいの生理的誕生と同様、将来の子どもの発達に極めて重要であると考えた。マーラー以後しだいに、心理的子宮という母親の誕生後の機能がもつ重要性が認識されるようになり、さらには母親の機能は、子どもの人格が安定するまで、情緒的な混乱を包みこむものであることが認識されるようになった。
 マーラーの分類的な研究は、現代でもその有効性を失っていない。しかもそれは混乱した学習障害の領域にかぎらない。学習障害のある人々には行動障害があり、そのことでコントロールに顕著な問題を起こしているが、切れ味のよい心理力動的な評価によって問題を明確化することで、治療に効果を上げることができるようになった。タスティンの業績は、「異様な」行動をする子どもの理解を分かりやすくしたことであり、心理療法家と養育者の仕事に意味付けををしてくれた。次の章では2つの症例をあげて精神病の不合理な世界を理解し、そうした理解によって、養育者の知覚や、破壊的行為への対応がどれほど影響を受けるものか考えてみたい。動機や意図に応じる他者が存在しない世界、そんな世界から解放されることは、養育者だけでなく治療者にとっても救いなのである。それによって思考は自由になり、いま経験している問題の本質に、生きた評価をすることが可能になる。