うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

弦を張り替えましたと、シデコブシと、カーグの画題と、睡眠時無呼吸と、【7,発達障害という見立ての弊害】


夜勤明け、今日は思いのほか元気だったので(笑)帰宅後、ギター2台の弦を張り替えました。
張った直後は、本当に良い響きですね。エレキの方はまだ弾いてませんが、明日のバンドクラブの為に張り替えました。少し弾いた方が、弦が伸びて良いので、寝る前に少し弾きます。


 親分が明日のカーグの画題を考えていないとの事で、山に入りましたが、個人的には素敵な(笑)素材だらけでしたが、皆さんにはきっとヒットしないと思ったので

 しでこぶしの花の状態を見てから帰って来ました。
大分蕾が膨らんでいます!今年は見逃さないで見たいと思っています。


 結局、ミカンを頂き、自宅にある花器に入れて見ました。
これと、100円で落とした勲章と、派手な靴を持って行くそうです(笑)
 先日、カーグとバンドクラブが終わった気がしていましたが......。
3月は去る、でしたね! 4月になるともう少しゆったりと過ぎて行くのでしょうか?

 花器は、ほとんど年末チャリティーに出させて頂いたので、数えるほどしか残っていないので、バリエーションがないですね(笑)



 睡眠時無呼吸の測定器を見せて頂く機会があったので、写真を写させて頂きました。
大変そうですね! 沢山体に付けるので、眠れるのでしょうか?
 入院してやる方は、もっと大きく沢山あるとのこと.....。

 書類をいくつか作ってから少し本を読ませて頂きましたが、あっという間に一日が過ぎてしまいました。
下記は昨日読んでいた箇所です。読む本読む本それぞれに学びを得られるのは、まだまだ自分が勉強不足だからでしょうね!しっかり且つ、早く読んで、タスティンに入りたいと思っています。

 下記は考えさせらえました。

『まずは、発達障害については心理療法によるアプローチよりも、支援や教育が大切と一般には考えられているので、発達障害と見立てられたクライエントには、様々な支援がなされ、また課題が免除されたりする。そのことによってクライエントは、ますます発達障害であるという見立てや思い込みから抜け出せなくなり、そこに安住してしまうリスクがあるように思われる。それによって実は隠されて存在している主体が働き出すチャンスが少なくなってしまう。』 

 知的に障がいをお持ちの方々は、この本で言う『境界』や『構造』がきっと分からないと思われるので、他の本で言っていた『思いやりのある毅然とした態度』が必要な時もあります。けじめをきちんとつける事ができる職員は、利用者さんから必要とされていることが多いように感じています。



5,様々な「非定型化」
 社会構造や規範が弱くなり、個人のこころの自由度が増すと、ある年齢で達成すべき発達課題が曖昧になっていく。それは例えば何歳まで親と一緒に寝たり、お風呂に入ったりできるということの変化にも現われているように思われる。統計的にはわからないが、様々な事例で聞いたり、児童相談所などで多くの子どもに関わる専門家に聞き取りをした限りでは、何歳まで親と一緒に寝たり、一緒にお風呂に入ったりするかという年齢は高くなっているように思われる。このことは親子の分離が難しくなっていることを示していて、その結果として個としての主体が確立されないことにつながっている。

〜発達の非定型化は、発達が遅くなるだけではなくて、逆にある部分が早くなったり、発達の順序が逆になったりすることにも現われてくる。例えば西牧の事例による女性のクライエントは、「クライエントの中で、体感を伴う実感や、自他の分離という、より原初的であるはずの心的機能の成長と、知的に理解するという、より高次元の機能の成長が混線したり、後者が前者を覆い隠してしまったりした」と評されている。そのために、自己観察的に外から見る自分は存在していても、生の感覚や感情にふれる自分は存在していないことになる。またそもそもこのクライエントの最初の訴えが「私が悩んでいいのかわからない」というもので、悩むこと自体がある種の内省や反省であるのに、それを行っていいかどうか考えることは、それにさらに二重の内省や反省が加わっていることになって、生の感覚から遠ざかっていることがわかる。〜

〜発達の偏りや非定型化という視点からすると、西牧の事例には示唆的なところが多い。第2期でクライエントは、ある女性の先生が好きになる。これは直接的な感情がなかったクライエントにとってまずは好ましいことである。ところで性同一性障害、あるいは男性で男性が好きになる、女性で女性の相手を求める、さらには男装やや女装をする事例というのが、思春期や青年期の事例で非常に増えていると思われる。これも男女という軸が確かなものとして確立されていて、チャムシップや思春期における同性愛的感情が異性愛に移っていくためのある種の発達段階として捉えられていた見方が通用しなくなっていることを示していると思われる。このようなところにも、「発達の非定型化」は現われているのである。また性同一性障害やそれに類する訴えがあっても、それは必ずしもパーソナリティに根ざしたものではなくて、発達障害的傾向や主体性の弱さによって生じている場合が多いことにも注意する必要があろう。〜


7,発達障害という見立ての弊害
 「重ね着症候群」という概念に典型的に見られるように、発達障害が増え始めた2000年頃には、発達障害という視点を持つことが臨床的に有益な場合が多かった。それは内省的な心理療法によって進展が見られなかったり、時には混乱が生じることによって境界例などと思われていたりしたクライエントに対して、そもそも心理療法の前提となっている主体を生み出すことが必要であって、そのためには従来の心理療法の常識を超えねばならないことが明らかになったからである。それに対して最近では、発達障害という見立てをすることによって、逆にクライエントにおける変化の可能性を妨げたり、停滞を招いたりしやすいことに注意する必要がある。
 まずは、発達障害については心理療法によるアプローチよりも、支援や教育が大切と一般には考えられているので、発達障害と見立てられたクライエントには、様々な支援がなされ、また課題が免除されたりする。そのことによってクライエントは、ますます発達障害であるという見立てや思い込みから抜け出せなくなり、そこに安住してしまうリスクがあるように思われる。それによって実は隠されて存在している主体が働き出すチャンスが少なくなってしまう。 
 さらには、発達障害的なものと神経症的なものとのハイブリッドのようなクライエントに対して、セラピストが対応や見方の細かさをなくしてしまう可能性がある。しかし個々の事例において、発達障害スペクトラム上にあると考えたほうがよいのか、発達障害とは異なると考えたほうがよいのかは、なかなか難しいところである。〜



8,発達の非定型化と未来
 ここ50年くらいの症状の変遷を見ていると、ほぼ10年周期で最も流行している症状が変化してきている。それは1980年代の境界例であり、90年代の解離性障害であり、2000年に入ってからの発達障害である。その意味ではそろそろ次の症状に移りつつあるのかもしれない。実際のところ、最近は典型的な発達障害と思われる症状は減ってきている。しかしながらある種の主体の弱さや、発達的な問題は否めないので、本書では取りあえず「発達の非定型化」として捉えようとしているわけである。 
 それでは今後はどのような症状が中心になってくるのであろうか。興味深いのは、必ずしも新しい症状が出てくるとは限らず、それは以前に多く見られて、既にほとんど存在しなくなったと考えられていた症状が復活してくる場合がしばしば見られることである。例えば、フロイト精神分析を始めた頃に見られたヒステリー症状は、ほとんど消滅したと考えられていた。あるいはましてやそれに類する、ユングが博士論文で研究したような憑依現象や、シャルコー(Charcot,J,M)やジャネ(Janet,P.)がに見られたヒステリー症状は、ほとんど消滅したと考えられていた。あるいはましてやそれに類する、ユングが博士論文で研究したような憑依現象や、シャルコー(Charcot,J,M)やジャネ(Janet,P.)が取り上げたような、意識消失の伴うようなヒステリーは、近代意識が確立されていくにつれて消失したと見なされていた。筆者の大学院生時代においても、そのような症状に出会ったことはない。ところがそれらは、解離性障害として復活してきたのである。それは以前のヒステリーと似ているところをもあれば、異なるところもある。似て非なるものではあるが。
 同じようなことは、双極性障害についても言えるかもしれない。テレンバッハ(Telleenbach,H.)の『メランコリー』などが書かれた頃には、単相性のうつが注目されていて、いわゆる躁鬱病は精神科ではお目にかかることはあっても、少なくなったような印象があった。ところが近年において、精神科ではなくて相談室でも、多少とも躁的傾向があって、双極性障害を疑われる人がいて、そのために双極Ⅱ型などということが言われている。
 このように症状は変遷していき、また消滅したと考えられるものが回帰してくることもあるが、大きな流れとしては、近代主体を中心とするこころの構造や病理から変化してきていることが言えそうである。しかしそれも近代主体が回帰してくることがあればわからないことではあるが、心理療法はそのような変化に常に対処していく必要があり、その意味で常に創造的であることを求められる領域なのである。