うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アトリエ・カーグとバンドクラブと【タスティン―自閉対象と付着一体性】


今日のカーグは、菜の花を描きました!



 みなさん其々描きやすいように、描きたいように菜の花を持って行かれたり、座る位置を変えられたりされていました。親分の格天井は彼らには向かないようでした。自由さが枠の中で小さくなってしまっていました。

 初めて参加の方も、良い味を出されていました!
可愛いですねとお話しさせて頂いたら、絵本に出ていたからと仰っていました。
何の絵本か気になって仕方がありません......。




 バンドクラブは『夢の中へ』を初めてやりましたが、次回やればできそうです!
お母さんたちが、名古屋でのライブを見て『愛は勝つ』のような乗り易くて、リズム感のある曲がいいのでは
?と言っていたので、やってみました。
 『東京ブギウギ』も久し振りにやってみましたが、やはり難しそうでした。ドラムが目立つ曲を考えて、『東京ブギウギ』と『銀座かんかん娘』をロックにアレンジしてみましたが、言葉が連なり過ぎて難しいのでしょうか?
 
 でも、皆さん元気いっぱい、歌っておられました!
おっちゃんのギターの音も大分完成してきましたが、まだ歪ませると細いかな?と思います。


 7時に車を置きに行って、9時過ぎまでマックでコーヒを飲みながら大分本を読ませて頂きました。
その時に読みながら携帯に打ち込んでいた箇所のアップですが、前の本の続きような感じです。
 明日、もしアップできるなら、今の時代背景での精神分析の考え方が、結構胸に来たので、次回はそちらをアップさせて頂きます。




4 タスティン―自閉対象と付着一体性
 〜自閉症を発症する子どもは、最初から、健常児とは異なる関係性を母子関係の中で発達させていると考えた。彼女のこの見解によれば、生まれつき「自分でない」存在として母親を認め関わることができるのに対して、自閉症になる子どもと母親は、「付着的一体性」(adhesive unity)の性質を持つ関係性を発達させる。つまり、互いのこころとこころが通じ合う、三次元的な投影同一化を基盤としたつながりではなく、表面と表面がくっつきあって「一体感」を醸し出す、感覚的な二次元的で付着的な関係性を発達させている。その時に、自分の一部であるはずの母親がそうではないという「身体的分離性」の気づきが起こり、それが外傷的に作用するという形の二段階で発達すると考える必要がある、と自らの理論を再定式化した(Tustin,1994)。
 治療論としては、タスティンは、基本的にクライン派の技法を修正する必要はないとしているが、いくつかの点を強調している。一つは、自閉症の子どもに対して、許容的・受容的すぎる態度は望ましくなく、毅然とした態度をとることが大切であるという点である。具体的には、セッションが始まる時に親との別れの挨拶をさせ、勝手にプレイルームに走っていかないように手をつないで誘導するなど、「常識」的な振る舞いをするように手助けすることを重視する。そして、セッション内においても、無思考的な反復行為がいつまでも続くときに、それを制止することもあり得る、としている。これらは、通常の分析的スタンスと比べても、より能動的な介入の必要性を示唆している。こうしたどちらかというと父性的なスタンスとともに、自閉症の子どもの主観の世界にできるだけ接近し、共感的に理解しようとする、より母性的なスタンス?持つことがタスティン治療論の基本と言えよう。こうしたスタンスを通じて自閉症の子どもを、人とのつながりの世界(投影同一化に基づく三次元世界、あるいは後述する間主体性の世界)に参入していくことを手助けしていく、というニュアンスが彼女の治療論にはある。



5 タスティン後の展開―コンテイナーの両性性と自閉症水準のエディプス状況
自閉症者の回想や体験世界の記述(Williams,1922;東田、2007)などを読めば、少なくとも一部の自閉症者には一見そうではないように見えて、情緒的に感じ考え、象徴的コミュニケーションができる、非自閉的部分があることが分かる。こうした非自閉的部分がどの自閉症の子どもにもあると想定して、彼らのこころの世界がどのようなものであるか、共感的に理解し、それを解釈という形で伝えていき、彼らの混乱や恐怖を理解することを通じて、彼らを人とのつながりの中で生きることに誘う(つまりコンテインメント)という考えがそこにはある。ここではこの流れに属する、代表的な臨床家として、ウゼルとロウドの仕事を取り上げる。
 ウゼルは、自閉症においては固さと柔らかさの分裂という最も原始的な分裂機制があるというタスティンの主張を取り上げる(Houzel,2005)。固さと柔らかさは、最も原始的な感覚水準での父性性と母性性の表われであり、健全なコンテイナーはこの両者が統合された両性性を持つと彼は論じる。