うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

投げ入れと、カーグの準備と、【タヴィストック・クリニックと乳幼児観察訓練】(自閉症スぺクトラムの臨床より)


 以前から気になっていた笹を、朝に投げ入れてみました(笑)
風が強くて、直ぐにばらけてしまいましたが.....。



 親分が夜勤前に、カーグの準備をしていました。
格天井みたいに菜の花を描くそうです!
 菜の花は、理事さんにお願いして、許可を得たので、堂々と(笑)貰いに行けます!
明日もらいに行くのでしょうか?
 花器や茶碗など、チャリティーに大分出させていただいたので、あまりありませんが、ある分で何とか考えてみます。





 本が『精神分析から見た成人の自閉スペクトラム』に入りました。
先の本の訳者の方も書かれているので、連続性を感じれると思います。訳書より、やはり日本人が書いた本の方が読みやすいですね。

 『自閉症スペクトラムの臨床』は、今回が最後ですが、解題だけでも読んで頂ければ、価値は分かって頂けると思われます。下記の本書の背景は、ある時期の精神分析のあり方を記述しているかのようです。
 読んで頂きたい箇所を下記に端折ってみました。

自閉症の問題は、コミュニケーションの問題であるとともに、認知の問題、つまり考えることをめぐる問題でもある。つまり、社会性とコミュニケーション、そして象徴化能力が自閉症スペクトラム障害を構成する基本要素である。こうした問題を捉えていく、理論的・概念的枠組みなしに、自閉症の子どもの発達援助はあり得ないと言ってもよいだろう。この点で、精神分析の流れで決定的な貢献をしたのがビオンの「考えること」をめぐる仕事である。彼は、統合失調症など、思考障害を持つ、重篤な大人の患者との精神分析治療を通じて、考えること、そして象徴的思考は、早期母子関係の非言語的なやり取りを基盤とすると考えるようになった。彼は、クラインの投影同一化概念を拡張し、早期の母子関係で、赤ん坊は自分では考えられない感情や考えを母親に「投げ入れる」(実際は泣き声などで喚起すること、つまり非言語的コミュニケーション)現象を指すのに用いた。母親は、このように赤ん坊から「投げ入れられた」感情を考え、感じ、それを赤ん坊が受け入れやすい形で返していくというやり取りをする。こうしたやり取りを通じて、赤ん坊は次第に自分でさまざまな感情を感じ考えていくことができるようになる。』




《解題―子どもの自閉症への精神分析的アプローチ》
2,本書の背景
1)タヴィストック・クリニックと乳幼児観察訓練
 本書に集められた、子どもの自閉症への精神分析的アプローチは、英国のタヴィストック・クリニックを中心に展開したものであるが、本書に収録された論文に見られるように、現在はフランスやイタリア、南米諸国など世界中に拡がっている。その歴史的展開の概略については、本書の編者が序章に詳述しているので措いておくとして、ここではそれを若干補足しておきたい。
 タヴィストック・クリニックは、第二次世界大戦後、国営化された医療の一翼を担うことになる、児童家族部門が新設された。そこで中心的な役割を担ったのが、子どもの精神分析心理療法であった。タヴィストック・クリニックは、拠点医療訓練研究所として、治療実践だけでなく、全国(そして世界中)の子どものメンタルヘルスの一翼を担う子どもの心理療法士を育てる役割も担っていた。その訓練には、メラニー・クラインの弟子のエスター・ビッグが当たった。彼女はスーパーヴィジョンや個人分析といった通常の分析訓練に加えて、乳幼児観察訓練を必須の訓練として導入した。
 乳幼児観察訓練で訓練生は、生まれたばかりの赤ちゃんのいる家庭を週1回訪問し、1時間その赤ちゃんが母親や他の家族と関わりながら育っていく様子を観察することを求められる。そして観察したことを観察終了後に記録に書き、その記録を5名くらいからなるセミナーに持っていき、セミナーではその1時間の観察についてどのようなことが起こっているか討議していく。この観察、記録、グループ討議という実践を通じて、子どもの心、子どもの持つ情緒的関係性についてじっくりと見、そして考えていく力を培っていく。
 このような観察訓練は、理論的な枠組みではなく、実際の子どもをよく見てそこから考えていくという臨床家としての基本的な姿勢を育むことになる。この子どもの精神分析心理療法の訓練過程の初期の卒業生が、自閉症への精神分析的アプローチにおいて大きな影響力を持つ仕事をしたタスティンである。彼女に仕事の一端は、本書の第2章そして第9章でご覧いただくとして、それが根本的にはクライン派の理論や技法を出発点としているものの、それらに縛られない、柔軟な発想を展開させていることがわかる。彼女のそのような臨床思考の基盤になっているのは、子どもをじっくりと見て、そこから考えていくという乳幼児観察訓練であるといってもよいかもしれない。と同時に、タスティンが個人分析を受けた分析家、そしてクライン派精神分析を大変革した人物の仕事の影響も非常に大きいと思われる。それはウィルフレッド・ビオンである。


2)ビオンの「考えること」をめぐる仕事
 わが国で行なわれてきた自閉症を持つ子どものプレイセラピー実践における大きなハンディキャップは、子どもをじっくり見るという観察実践の伝統がなかっただけでなく、このような子どもが直面する問題を捉える理論的・概念的な枠組みを持たなかったことも大きい。
 自閉症の問題は、コミュニケーションの問題であるとともに、認知の問題、つまり考えることをめぐる問題でもある。つまり、社会性とコミュニケーション、そして象徴化能力が自閉症スペクトラム障害を構成する基本要素である。こうした問題を捉えていく、理論的・概念的枠組みなしに、自閉症の子どもの発達援助はあり得ないと言ってもよいだろう。この点で、精神分析の流れで決定的な貢献をしたのがビオンの「考えること」をめぐる仕事である。彼は、統合失調症など、思考障害を持つ、重篤な大人の患者との精神分析治療を通じて、考えること、そして象徴的思考は、早期母子関係の非言語的なやり取りを基盤とすると考えるようになった。彼は、クラインの投影同一化概念を拡張し、早期の母子関係で、赤ん坊は自分では考えられない感情や考えを母親に「投げ入れる」(実際は泣き声などで喚起すること、つまり非言語的コミュニケーション)現象を指すのに用いた。母親は、このように赤ん坊から「投げ入れられた」感情を考え、感じ、それを赤ん坊が受け入れやすい形で返していくというやり取りをする。こうしたやり取りを通じて、赤ん坊は次第に自分でさまざまな感情を感じ考えていくことができるようになる。
 コンテインメントと呼ばれる、このビオンの理論は、早期の母子のコミュニケーション(投影同一化=非言語的コミュニケーション)と象徴思考とが生成論的につながっていることを示す画期的なものであったが、同様の認識は、現在乳幼児の発達研究でも共有されつつある。ビオンはこのように象徴化能力の生成過程を解明していったわけであるが、同時に象徴化されていない「思考」の存在にも目を向けていった。こうして非象徴的な心の領域の存在をビオンは指し示したのであるが、自閉症への精神分析的アプローチを通じてその領野を具体的に開拓しいったのが、彼の被分析者であるタスティンであったと言えよう。