うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

取り敢えず一服と、《夢》 (表層意識の都より)

 今日は夜勤明けで、喘息の薬をもらいに行きましたが、動脈硬化の検査もあり、患者さんも沢山おられて、帰宅したのが14時前になりました。ので、待ち時間に携帯に本の内容を打ち込んでいました。何かをしていると、時間が早く過ぎてしまいますね!

 取り敢えず一服。

 サークルKの78円の小豆もなかで!
電照菊もなかが急に食べたくなりました.......。

 寝ようかどうか?考えながら、これまた、サークルKのおにぎりを食べながらネットサーフィンしていたら、寝そびれました(笑)14時から寝てもね(笑)


 『精神分析の都』を先に読ませて頂いたので、こちらの黒衣の方は、アルゼンチンのデボラ・ダヴィットソンさん(仮名)でしょうね。大嶋仁先生は、彼女を、余程気に入ったのですね。夢にまで見るくらいですから(笑)

 日本とアルゼンチンは特殊性という事で似ていると、『精神分析の都』で書かれていましたが、今度は、ユダヤ人と日本人との共通性とはなんでしょうか?

 大嶋先生は単に、『ははあ、これだな。おぼろげながら、私自身が以前からユダヤ人に強い関心を抱いてきたわけが分かったような気がした。私は「復活」したいのだ。つまり、ユダヤ人から「復活」のノウ・ハウを盗もうという、新しい生存のテクニックを身につけたいという……。』
 がしたいだけでしょうか?『表層意識の都』も大変考えさせられる本でした。

 こちらの本も読みたくなりました!



「日本人は死んでいると言いましたね?日本人に復活はあるんでしょうか?」
「多分、いまその可能性を探しているところなんだと思います。もちろん、無意識にですが。ということは、心のどこかで、もう自分が死んでいるということに、少しずつ気づいているのかも知れません」


 義務のように読まされた記憶しかない、森鴎外を読み直そうと思いました。
 結局『精神分析』も、広義では哲学ですし、大嶋先生の言うように、文学と哲学を分ける意味って何?というなら精神分析も然りでしょうか?フロイト文学賞もらってるし。
 


《夢》 (表層意識の都より)
 暑い日なのかと思うのだが、セーターなしではいられないような肌寒さもある。簡単に鼻風邪を引いてしまうのではないかという声が背後でする。とにかく、日本なら五月晴れあるいは秋晴れのような日で、からっと気持ちがいい。そういう時のつねとして、私もカフェテラスにいる。カフェテラスの前は、朝市の立つ場所に指定されている。魚介類を売る元気な人や、多種多様のオリーブの実を売る人の声がしているらしい。が、はっきりしない。太陽の光がまぶしく反響するのだけは、確かなようだ。
 苦いエスプレッソの匂いがする。レモンの香りもどこかからする。私たちは座って談笑している。なごやかな土曜日の朝かなにかだ。
そう、私は確かに一人ではない。円く白いテーブルの相手は「黒衣の人」である。四十歳ぐらいの女性。どうやら、黒い服を着て、肩に掛けている大きなスカーフも真っ黒だから、そう呼ばれているらしい。顔の色まで浅黒い。何かの拍子に、そのことを言ってやろうと思っている。そして、ぶしつけに尋ねてみる。

「あなたは、カトリックではないでしょう」

「……いいえ、一応はカトリックですよ」


「そう。…でも、どうして?」

「前にあなたのような顔の友人がいたのでね。ユダヤ人でしたが」

「こんな浅黒い顔?」

 彼女は遠くを見た。どこを、何を、見たか知らない。私は続ける。

ポルトガルの出身でしたよね。どの辺りです?」

「北の方」

「やっぱり。あの辺はユダヤ人でカトリックに改宗した人々が多く住んでいましたからね」

「マラーノね。私も、その末裔です」

私の予想は当たった。が、なお気になって、

「自分がマラーノだって知ってる人は、そんなにいないはずです」

「いませんね。今どき、そんなこと問題になりませんもの。私だって、ニューヨークに行くまでは気づきませんでした」

 謎が解けた。
今度は向こうが不思議そうにこちらを見る。私が釈明する番だ。

「家にはスペイン語で書かれたイベリア半島ユダヤ人史の本とか、有名なイギリスのロスという学者の書いたマラーノの歴史とか、いろいろあるんです。一種のオブセッション(妄執)ですね」

 ちょっと誇らしげに言ったのだが、相手は何の反応も示さない。一瞬、あたりかが暗くなった。人陽が雲に隠れたのだろう。
黒衣の人がこんなことを言う。

「日本音楽の歴史についての本を読んだの。書いた人は日本人だった。タンバと言ったわ。その人が言うには、日本音楽って、大体二つのパターンがあるんですって」

 タンバは、パリ在住の音楽学丹波明氏に違いないと思った。
日本音楽について全く無知な私は、しばらく彼女の言葉に耳を傾ける。

「そのパターンてのは、一つは無定型、もう一つは定型。無定型の方は日本固有のもの、定型の方は中国大陸からのもの。それらが、交互に入れ替わり発達して今まで来たの。もちろん、いまは西洋音楽の時代だけど、これも中国と同じタイプだそう」

 これを聞いて、西田幾多郎の「非連続の連続」が浮かぶ。それで、こう言ってみた。

 「日本音楽史には、その両方のパターンが同時に現れて、仲良く並んでいるというような現象はないの?」

「ある、ある。能がそれ。能の音楽って、その両方があるんですって。つまり、ジョハキュウ(序破急)っていうのがそれらしい。……でも、そうでもないかも知れない。ゼアミっていう人も、同じ曲のなかに違ったパターンを入れて新しい総合をしたっていうのでもないらしい。別々のパターンの曲を並べただけかも……」

 ゼアミという顔を探す。記憶にない顔だ。

「音楽のことは分からないけど、日本じゃ同じ敷地にお寺と神社があるから、それと同じやり方だね。世阿弥のは」

 ゼアミという三文字を漢字で紙に書いて見せる。浅黒い顔の奥で白い歯がにこりとする。
その後もしばらく彼女は日本音楽について話したような気もする。タバコでも買いに行ったのか、トイレに行ったのか、一回消えたような気もする。思い出せない。私の方がある考えに没頭していたのかも知れない。とにかく、しばらく時間がたった。彼女がこう言ったのだけは思い出す。

「結局、そういう日本はもう死んじゃったんじゃない?」

 どういう日本だか分からないが、この言葉で、目が覚めたように自分の体が前方にのめったのを覚えている。

「時々、思うのよ。あなたみたいに日本からヨーロッパに来ている人たちって、一体何なのかって。で、分かったことがあるの。あなたたち、きっと日本が死んじゃったんで、それでどこか別の世界に生をさがしているんじゃないかって」

「日本が死んだ?そのために外国に行く?」

 私は唖然とした。今まで考えたこともなかった。で、わけもなく抵抗を試みる。

「ヨーロッパだって、もう死んだ世界だと思うけどな。そんなところにまで来て、僕らは生を探しているとは思えないな」

「誤解しないで聞いてもらいたいの。日本人は年寄ではなくて、若いのに死んだのよ。いま生きている日本人は、みな幽霊だと言ってもいい。ところが、ヨーロッパは死んでいない。ただ歳をとっている。元気がなくなってるの」

 話があまりにだしぬけなので、ピンと来なかった。怪訝な顔をしていると、

「さっき言った、日本音楽の二つのパターンの入れ替わり、あなたも分かると思うけど、日本文化の全部に言えると思うの。ところがその交換システムって、日本が外の世界に邪魔されたら最後、もう思うようには機能しなくなるんじゃないかしら。西欧との出会いは、その点で致命的だったんじゃないかしら。アメリカとの戦争って、思うに、絶望した人の戦争よ。自分の文化が急速に崩れていくってこと、あのころの日本人には分かっていたんだわ。それで、最後の防衛を試みた。文化の防衛。ところが、やっぱり戦争に敗けた。日本が死んだってのは、そういう意味で言ったの……」

 その時、トケイヤーというユダヤ人が書いた『日本は死んだ』という書名が頭に浮かんだ。トケイヤーは確か、日本に数少ないラビの一人だった。三島由紀夫の、あの怯えた少年のような顔も浮かぶ。『文化防衛論』。

「……でも、僕の考えでは、ヨーロッパ、特にフランスなんか、全く生きたものがないような気がするんだけど、日本の方がずっと生命力が感じられると思うんだけど」

 納得しかねていたのだ。しかし、相手は確信しきった顔で続ける。

「それは、日本には死というものが観念として存在していないってことよ。死というものはないんだけど、死んでいる」

 これには面食らった。

「じゃ、逆にヨーロッパ人は、生きているけど死の観念を持っているってわけか」

「そうね。ヨーロッパ人は生きながら死んでいる。死を生きている。日本人は死んでいながら生きている。つまり生を死んでいる……」

 たまりかねた私は、こう聞いた。

「じゃ、ユダヤ人は?」

 その時、いきなりどこか遠い過去の時代に戻ったような気がした。タイム・マシンでもあるまいに。黒衣の人と向かい合っている場所が、いきなり砂漠のような、やたらに赤々した世界になってしまった。きっと、雲に隠れていた太陽が再び現れて、カフェテラスに大量の光が注ぎ込まれたのだろう。

「じゃ、ユダヤ人は?」

 私は二度も同じ質問を発した。黒衣の人は、少し考えた末にこう言う。

ユダヤ人は死なない。死んでも死んでも、復活する」

「復活?それはキリスト教の考えでしょう?」

「いいえ、イエスユダヤ人だった。初期のキリスト教徒もユダヤ人でした。復活も、ユダヤ人の、多分ユダヤ人だけのものでしょう。死んだことのない者に復活なんてありえませんから」

「では、復活を信じているキリスト教徒は?」

「あの人たちは、ただ他人の思想を信じているだけですから、実は復活をではなく、死を信じてるのです。彼らにとって、復活は歴史の一事実であり、したがって死んだものです。ところが復活という思想を生み出したユダヤ人にとって、それは歴史上の一事実ではない」

 とうてい理解できそうにないことを耳にしている気がした。ほとんど無意識に、こう尋ねる。

「日本人は死んでいると言いましたね?日本人に復活はあるんでしょうか?」

「多分、いまその可能性を探しているところなんだと思います。もちろん、無意識にですが。ということは、心のどこかで、もう自分が死んでいるということに、少しずつ気づいているのかも知れません」

 ははあ、これだな。おぼろげながら、私自身が以前からユダヤ人に強い関心を抱いてきたわけが分かったような気がした。私は「復活」したいのだ。つまり、ユダヤ人から「復活」のノウ・ハウを盗もうという、新しい生存のテクニックを身につけたいという……。


 急に光が消えた。映画を見ていたらしい。館内はずっと真っ暗で、人々は感動しきって席も立てないらしい。と思いきや、もう黒衣の人はそこにはいない。目の前のカフェ・テラスも消えている。
 やがて、ぼんやり、紙切れやモンブランのインク壺や文鎮が見えてきた。頭を持ち上げると、その下は皺くちゃのノートである。すべてが一瞬のうちにその妥当性を失ってしまった。窓から射し込む太陽の光だけがやたらにリアルだ。
 夢だったのだ。〜



〜翌日の日曜日、私は久しぶりに森鴎外を読んだ。『かのやうに』という見事な日本語の世界である。それは、どんな近代日本の哲学者よりも明晰に哲学を表現していた。なぜ、私たちは哲学と文学を全く違う世界であるかのように分けてきたのだろうかと思う。そのために大きな損をしている。鴎外の文章こそは、哲学に最もふさわしい文章なのに、それをみな無視してきたのだ。彼はドイツ語を、おそらく当時のいかなる日本人の哲学者よりもよく知っていた。その知識と漢文の堅固な土台とが、彼の典雅な日本語に筋金を入れている。こんな日本語がもう出来ていたのに、私たちは怠惰にも、愚鈍にも、それを活用して思索の糧としてこなかったのだ。〜