うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ボーリング組とお薄組と、『分析家における反治療的要因』(治療の行き詰まりと解釈より)


 今日は、ユウスケ君と約束していたので、ボーリングにモモちゃんとまりちゃんで行って来ました!
 ユウスケ君いきなり、ストライク・スペアタイムになり、頑張りましたが、ピンが残ってしまい、商品ゲットならず....。

 第1ゲームが済んで、

 モモちゃんは、ボッチャで使うような滑り台を使ってみました。
少しスコアが上がったかな?

 2ゲームが丁度良い感じですね!
終わったらジャスト12時でしたので、皆さん、マック!と声を揃えて行って来ました!マックに行きました。



 午後からは、散歩を兼ねてお薄を頂きに、かおちゃんと行きました!
池ノ原の公園を歩いて、休憩に待合を使わせていただきました。
 気温もちょうどよく、気持ちが良かったです。
落ち着いてからお薄をいただきました。

 今日のお菓子は鶴?と思ったら『渡り鳥』でした!
釧路湿原の丹頂鶴は、絶滅を防ぐ目的で餌付けしたので、渡りをしなくなったと、北海道にいた時に地元の方に聞きました。
 元々は、渡り鳥でしたので、間違いはないですね!
北海道にいた頃春先は、田んぼの泥に塗れた白鳥のだみ声(笑)でよく起こされましたが(笑)

 みなさん馴れて来られて、しっかり、格好良く飲まれるようになってきました。少しゆっくりさせて頂いてから帰りました。



 何とか時間を作って読書とギターは、毎日するようにしていますが、豊田市美術館館長の吉田先生の言いつけを守らず、創作活動は止まったままです.....。まとまった時間がないと、自分は時間がかかるので中々ササッとは無理ですね.....。

『注意深く敏感に機能するために、つまり治療的であるために、分析家はかなりの程度、重要な装置または道具としての自分の人格の機能に頼っている。』 
 中々ぐっさと来る文章ですね!支援も職員自体が、見本となれるような人格に近づこうと頑張らないといけないという事ですね!
 人の批判だけなら誰でもできますからね......。
 せめて自分がされて嫌な事は、利用者さんにもしないという事だけでも守って欲しいですね!



分析家における反治療的要因

 注意深く敏感に機能するために、つまり治療的であるために、分析家はかなりの程度、重要な装置または道具としての自分の人格の機能に頼っている。それゆえ、われわれは、臨床的、理論的に講義やスーパーヴィジョンを通して訓練されるだけでなく、個人分析によっても訓練される。第1章で述べたように、分析という作業による消耗や傷心によく耐え、精神的な問題や境界例的な問題を含め、患者の多くの問題に対する感性を高めるために、個人分析においては、志願者の性格構造や性格障害、既知の問題や未知の問題が探り出され、徐々に明らかにされ、それらが彼らの人格の内に統合されなければならない。分析家の防衛構造を分析する際には、深く根ざした早期乳幼児期の不安に対する防衛までも含めなけれねばならない。なぜならそれがしばしば無意識の精神病的不安や問題を秘めているからである。訓練はわれわれをより正気にするものではあるが、分析家として機能するために必要な自分自身についての知識と経験を得るために、一時的にはわれわれをより混乱させ不安にさせざるを得ない。われわれ自身の問題には解決されないものもあるということ、したがって自分自身を発達させようと努めつつも今の自分自身に触れ続けるように努めなければならないことを、われわれは皆わかっているはずである。われわれは自分自身に正直で、患者の在りようを全面的受容するよう開かれているときこそ、もっとも患者に役立つのである。自分が何者であるかを患者が全面的に認識することをわれわれが手助けしないならば、人格に真の変化は起こり得ない。
 また、われわれは、個々の分析家には違いがあり、患者に対する仕事のしかたが異なることは認めるが、それはわれわれ自身や仲間の欠点や成果を否認することではない。弁別、すなわち批判能力は、われわれの仕事において必要な最も重要な自我機能のひとつである。クローバー(Klauber 1972)は、分析家の病理と、それがいかに治療的役割を阻害するかとを勇気をもって詳述した。彼の目的は分析作業をするうえでの大いなる困難のいくつかを指摘することであった。もっとも彼自身まだはっきりわかっていたわけではなかったが、自分自身の真実に直面し、その問題に注意を向け続けることがいかに難しいかについて、私は彼と全く同意見である。ただし、この問題について、いかに分析家が反治療的になるかを詳細に記し、意識化するという方法でクローバーがやろうとした以上のことが可能であると私は思う。この点で特に私の心を占めている三つの事柄がある。患者に対して特に指示的な役割をとろうとする分析家の傾向、タイミングが悪くかつ漠然とした解釈を与える傾向、およびある解釈の線にあまりにもかたくなに、かつ一途に沿うとする傾向である。これらの傾向のあるものは、分析家の治療上の役割の性質についての、理論上の論争や混乱から起こっているが、それらはまた転移関係から生じ、見逃された無意識的な要求と混ざり合っており、分析家があまりに簡単にそうしたことと結託してしまうのである。