うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

暖房を入れました!と、お薄と、『メラニー・クラインの影響』(治療の行き詰まりと解釈より)


 ショートさんの居室に暖房を入れました!
本当に寒くなりましたね!空気も乾燥していて、加湿器も同時に入れましたが、相対湿度が49%でした。せめて55%くらいにはもっていきたいですね。出来れば60%と思っています。


 今日は、日中居られる方が少なかったので、Kさんと昼食後、池ノ原にお薄を頂きに行きました。
 お菓子は『吹き寄せ』の練りきりでした。

 二人でほっこりさせて頂きました。
今日の先生は表さんでしょうか?沫があまりありませんでしたが、丁寧に対応して下さり、感謝です。

 おっちゃんのお茶碗は、中々しっかりした三島手でした。
そろそろお抹茶がほしい(笑)



 今日は学齢児さんの入浴介助をやらせていただいたので、バスを待つ間、『治療の行き詰まりと解釈』を少し読ませて頂きました。
 この本は、『患者から学ぶ』と同じで、参考になる箇所が多すぎて、アップさせて頂く箇所に悩みます.....。
 この本の著者は、『フロイトを読む』にも時々名前が出て来ます。


メラニー・クラインの影響』  (治療の行き詰まりと解釈より)

 〜精神分析的な治療にまず必要なことのひとつは、患者のなかで起こっていることを治療者自身も体験し感じるために、患者の感情や思考と十分な接触を持つことである。この過程は、モネ=カイル(Money-Kyrle)によって繊細に検討されている(1956)。この中で彼は、分析家の共感や洞察は、理論的な知識から区別されるものであり、患者の自己の種々の側面、例えば幼児的な自己に同一化し得る分析家の能力にかかっていると強調している。彼はまた、患者と分析家の心的過程の間の無意識的な相互作用について述べ、患者に属する部分のもつれをほぐし、それを解釈するために、患者と分析家自身とのそれぞれのなかで起こっていることを分析家が意識化することの重要性を述べている。
 精神病患者の治療において私が成し遂げた成功は、おそらく彼らと私との何らなの相互作用を可能にするために精神病患者との十分な接触がつくれる私の能力に依っているのだろう。しかしながら、ミルドレッドのように情緒的に拒絶的な患者との接触は極端に難事であった。ミルドレッドの分析の最初の1年間で、彼女の私への関わり方を理解することの非常に難しいことがわかった。
 もっと理論的にいうと、彼女の転移反応は大変特異なものだったので、私はそれを見てとることができなかったのである。しかし、私自身の患者への気持ちや反応が、よりよい理解に達するガイドであるとわたってきたので、私は自分自身の患者への「逆転移」をより徹底的に検討した。私の個人分析が、患者に対する私の反応を理解する助けとなった。個人分析はまた、患者が機能している幼児的なレベルに相応する私自身の部分を賦活した。それは私自身の個人分析のなかで徹底操作された。次第にミルドレッドのなかで極端に優勢となっている防衛機制と同じもののいくつかを私自身のなかで体験し始めた。すなわち、自己が分裂し、自己の良い部分と悪い部分とが他者、特に分析家に投影されるという、メラニー・クライン(1946)が「投影性同一視」の過程として記述した分裂機制を体験し始めたのである。このようにして、私がミルドレッドとの関わりで感じていた多くの難しさは、ミルドレッドが私に彼女の部分を強烈に投影していること、報復されるという迫害的な恐怖をもっていることによることがわかった。私が、セッションのなかで自分の感情の途絶や防衛に気がつけるようになると、ふたつの事柄が起こった。私がミルドレッドをよりよく理解できるようになっただけでなく、彼女もよりオープンに感情を示すことができるようになってきたようだった。おそらく、彼女の内部で起こっていることに対して、私が前より受容力が増したことに彼女が気づいたのであろう。〜

〜まず第1に、これまで述べた経験から私にわかったことだが、精神病患者の治療における最も重要な側面のひとつは、彼らが分析家と非常に原始的なやり方で、言語だけでなく非言語的な方法で、交流するものだということを知っておくことである。非言語的なコミュニケーションは、例えば単純な行動、姿勢、その他の動作や顔の表情などさまざまな方法で行われる。声の調子についていうと、しばしば違った感情の表現や、感情が欠如していることの表現などがみられる。しかしながら、さらに多様なものとして、患者が自分の感情を分析家や分析状況へ投影することで伝達する非言語的コミュニケーションがある。この種のものは視覚的あるいは聴覚的な方法では指摘することも観察することも困難であることが多い。それにもかかわらず、情緒に満ちた雰囲気をつくりだしてくるこの種の患者のパワーに気づくのは困難なことではない。患者の投影は、それ自身強力で力動的な力を備えている種々の幻想を伴うことがある。そうした幻想は患者にとてもリアルなものとして体験されるため、それらは妄想的な性質を帯びることになる。この妄想的な投影は、強力で催眠的な作用を分析家に及ぼし、分析家の機能を妨害するようである。例えば、妄想的な投影は分析家を仲間に引き込んだり、行動化させたり、あるいは、投影によって侵入され、圧倒されたという感情を分析家にいだかせることがある。つまり、患者だけでなく分析家も投影をリアルなものと感じるようになる。例えば、分析家は患者から自分のなかに何かを押し込まれたように感じる。患者によって作りだされた分析家のなかのこのような混乱体験は、何が起こっているのかについて分析家が理解できるやいなや消失するはずである。自分の感情と患者の感情とがほどけないほどもつれあってしまったときにのみ、分析家の混乱は維持する。長年にわたる、おそらく私自身の内的自己や人格の発達、それに多くの経験を通して、私の患者とのもつれ合いの感情は幸いにも必発のものではなくて例外的なものとなった。しばしば患者は自分の投影によって分析家をだめにしてしまうという恐れを抱くものである。分析家が患者の投影をうまく処理できなければ、患者の怖れは現実のものとなる。




■投影
①自己に対する自分のイメージを、目の前の相手に映し出すこと 。

②本当は自分が持っている性質であるが、それが到底受け入れられない ために、その性質を他人の中に見出すことで、嫌な感情、不安などか ら精神衛生を守る、無意識の防衛的働き。