うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ピアニスト発見!と『知っていることと知らないこと:ウィニコットとビオン』


 昨日、久し振りにどろんこ村ランチを頂いた様です。
食事の写真はありませんが、食後、まさ君がピアノを披露してくれたようす!おっちゃんも聞きたかったです!


 今日も朝からバタバタとしていましたが、午前中の用事の一つは良い話が出来ました。隣の市の事業所の責任者さんと、夜勤と宿直についての話し(沢山の議題がありましたが)で、まだまだ福祉では曖昧になっているので、今のうちにキチンとしていないと、えらいことになりそうですね。先日もその件で摘発されたと、ニュースでやっていました。当法人は、元役員さんが元労基の所長さんだったこともあり、就業規則等、きちんと指導していただいたので、夜勤にしています。夜勤だと最低でも時給の方は、時給×1.25の時給をお支払しないといけませんが、同じ方が何回でもできます。宿直なら週に1回しか同じ人が出来ませんし、労基に書類を出して、認可してもらわないと出来ません。
 話をしているとふと、違った職種に同じ基準というのもおかしいな?と思ってしまい、福祉労働基準法・医療労働基準法等、職種によっての基準法が必要になって来ているのでは?と思いました。

 その方が立派に見えて仕方なかったので、自分ももっとしっかりと事業や利用者さんのことを考えないといけないと、反省してしまいました。

 県に出す、事業報告の訂正や注意が今年は異常に多く、今日もあり、なんでかな〜と思ってたら、県の方が、お宅の事業が立派になってきたので(まだまだですが......)それに見合った事業報告書にしてほしいので、強く言っているとのこと.....。

 理事さんをはじめ、全職員さん、事業にご協力とご理解をして頂き、ご利用して頂いている皆さんのお蔭に他ならないので、本当に皆様に感謝しています。今後とも宜しくお願い致します!
 ご利用者さんに対するサービス、職員さんのお給料等、至らないところだらけなので、もっともっと頑張ります。
 役員報酬も払えていないので、まだまだ胸を張るわけにもいけません....。取り敢えず、紆余曲折ありましたが(笑)もうすぐ丸5年を迎えます!

 


『患者から学ぶ』を読み終えましたが、アップはキリがないので、最後の附記で一旦終わらせて頂きます(笑)

 ウィニコットとビオンの言葉で終わっていましたが、ここだけでもこの本を読む価値がありましたね!



付記Ⅰ
知っていることと知らないこと:ウィニコットとビオン
ウィニコットより

「幼児は母親と溶けあう…けれども、その溶けあいの終わりにある変化が起きてくる…その幼児の新しい能力、それによって彼女が幼児に必要なものに合うよう導かれる信号を与えるという能力、を持っていることを母親は知っているようである。もし、そこで、彼女が幼児が必要としていることをあまりによく知り過ぎているなら、これは魔法であり、対象関係への基礎を形作ることにならないと言うこともできよう…この微妙なところが私たちの分析作業での転移のなかにはっきりと現われてくる。患者が幼児最早期に退行しており、溶けあっている状態に退行しているときを除くと、患者が手がかりをくれる場合を除いて、分析家はその答えを知らないだろうことがとても重要である。分析家は手がかりを集め、解釈を創り出す。その手がかりを患者たちが与え損なうことがあり、それによって、分析家が何もできないことが確かめられる。分析家の力のこの限界は、患者にとって重要であるし、それは、正確で適切な瞬間になされる解釈、そして、その解釈を創り出し、正当さを示す素材をもたらしている患者の無意識の協力や手がかりに基づいている解釈によって表象されている分析家の力が重要であることと同様である。このようにして、研修中の分析家は、2〜3年後にもっと知るようになってする分析よりもましな分析をときに行う。数人の患者を持ったとき、彼は患者が進んでいくのと同じほどにゆっくり進むことに退屈を感じ始める。それから、その当日に患者によって持ち込まれた素材に基づくことなく、彼自身の備蓄された知識とかそのころ彼が支持しているある特定の考えに基づいて解釈をこしらえ始める。これは患者に役に立たない。その分析家はとても賢く見え用紙、患者は敬意を表すだろう。けれども、つまるところ、その正しい解釈は外傷であるし、それは患者が拒絶せねばならないものである。なぜなら、それは彼のものではないからである」(Winncott 1965b:50-1)。

「私が言っておかねばならないことは…まったく単純である。それは私の精神分析の経験のなかから出てきたものであるが、20年前の私の精神分析体験からでてきたと私は言うつもりはない。なぜなら、私が描き出したい転移活動を可能にするには技法をそのおりには私は持ちあわせていなかったからである。たとえば、ほんの最近になってやっと私は、精神分析技法やセッティングへの患者の信頼が増していくことから生じてくる転移の自然な進展をじっと待っていられるようになってきたし、この自然な過程を解釈することで壊してしまうことを避けられるようになった…もし私たちが待つことさえできるなら、患者は創造的に、そして、大変に喜んで、理解に行きつく。そして、この喜びを、私は私自身が賢いという感じを楽しんでいたときよりも今を楽しんでいる。患者に私の理解の限界を知らせるために、おもに私は解釈していると言えよう。その本質は、患者こそが、いや、患者だけが答えを持っていることである」(Winncott 1971:86-7)。



ビオンより

「あなたの記憶を捨てなさい。あなたの欲望の未来時制を捨てなさい。どっちも忘れなさい、新しい考えに空間を残すために、あなたの知っていたこととあなたの欲することとを忘れなさい。ある思考、持ち主のないある観念が家を探し求めて、部屋のなかをぐるぐると浮かび回っていましょう。これらのなかに、あなたの内側から現われてきたと思えるあなた自身のもののひとつがありましょうし、もしくは、あなた自身の外側、すなわち、患者からのものがありましょう」(Bion 1980:11)。


「ぼんやりとした問題に光をあてるために、輝いていて知性にあふれた博識の光を持ち込もうとするかわりに、〝光”―暗闇を貫く光線:サーチライトの往復―を弱めたものを私たちが生かしていくよう私は提案します。…対象が存在しているなら、いかにおぼろげでも、それがとてもはっきりと照らし出しましょう。このようにして、まったくおぼろな光が暗闇という極限の状態のなかに見えてくるのです」(Bion 1974:37)。


「彼らが何ものであるかを認識するのにあまりにも長くかかってしまう被分析者の特異さとか難しさに精神分析家たちはもちこたえねばなりません。精神分析家たちが被分析者の言っていることを解釈できるなら、彼らがその解釈を知ってるとの結論に駆け込むことなく被分析者の言っていることにもちこたえる偉大な能力を持っているに違いありません。このことが、シェークスピアは「負の能力」negative capabilithyにもちこたえることができたに違いない、とキーツが言ったとき彼が意図していたことだと私は思います」(Bion 1974:72)。


「……負の能力、すなわち、真実や道理をいら立って得ようと努めることがまったくなく、不確実、神秘さ、疑惑のなかにいることをある人物ができるときです」(John Keats:GeoreとThomas Keatsへの手紙、1817年12月21日)。