うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

刈払機と歯医者さんからの暖かいお言葉と『第8章 治療体験での探求と発見の過程』(患者から学ぶ)



すろーじゃむ用の刈払機を購入しましたが、お天気が悪い日が多く、自分のスケジュールとも中々合わず、まだ行けていません。
すろーじゃむも10月からは使用しますので(職員さんの都合でしばらくうたたねの日中一時スペースで行っていました)畑も再開できそうです!今から何を植えようかな?


二ヶ月振りの歯医者さんでしたが、前回の治療から調子よく、お礼を言わせて頂きましたが、奥様が当法人の理事をして下さっていた縁で(8月に残念ながら亡くなってしまいました)、何かあれば、言ってくれれば出来ることならやらせて頂くと言って下さり、思わず熱い物がこぼれそうになりました。この地域の特性や福祉のあり方に、気持ちが折れそうになっていたので(違う地域との連携の方がきちんと出来るので...)、また頑張ろうかと、奮い立たせてくれました。
 本当にありがとうございました!
生前葬用に作らせて頂いた『かおちゃんバッグ』を歯科医のかたの知り合いが、図書館で2人の方が持っておられたのを見て、直接は知らないけれども、どこかでひらりんと繋がっているんだなと話してくれたとも仰っていました。
 パワーがあった方なので、いなくなるとそのパワー分力がなくなるようとも仰っていました。しばらくは皆さん大変ですね。
それだけひらりんの存在が大きかったのですね。


 法務局に提出しなければならない書類がほぼ完成したので、歯科受診の待ち時間に読ませていただいた箇所のアップをさせて頂きます。 


第8章 治療体験での探求と発見の過程
治療体験 
 治療関係での患者の体験の性質は認知的な洞察の獲得と同じくらい治療要因としてはともかく重要である、というのがここでの私の論点です。古い葛藤を取り扱うための、失われたものを回復させるための、早期のあいだがらで見のがされていたものを見出すための新しい機会がこのあいだがらのなかにこそあるのです。
 他のあいだがらにおいてはできなかったやり方で、治療者を使用する機会を患者は手に入れもします。たとえば、早期の悪い体験が社会的なあいだがらの上に転移されているとき、その転移の受け取り手はなにが起こっているのかをたいてい理解できないでしょう。そこで、相手の人物は、理解することや含み込むことを提供できるかわりに、その転移態度にパーソナルなものとしてずっと反応しがちです。
 アレキサンダーAlexander(1954)は、患者が新しい境遇のもとで未解決の葛藤を取り扱うのに、たびたび、分析体験を使うことに気づきました。そうしたことで、彼は、もし患者への分析家の反応が両親の反応にあまりに似ているなら、このことがその患者の転移医神経症にお互いが巻き込まれることをもたらし、(極端な例では)それは二人組精神病folie a deuxまで進んでいこう、と指摘しました。転移神経症が発達したときには、分析家は患者の選んでいる役割に自分自身が置かれていると感じることにも彼は注目しました。「対照の原理」principle of contrastによってこの役割にいたるのですが、両親が振る舞っていたやり方と反対なふうに分析家は意識的に反応するよう選択していくべきであると彼は示唆しました。けれども、その患者との関係において、ある役割をこのように故意にとることは、その分析のなかで患者が体験していることに影響を与える方法になっていきます。その意味で、それは患者の自立性を侵害しますし、分析過程と正反対のものです。 

 ウィニコットはこの違いをとてもよく理解していました。これに変わって、彼は患者が対象を見出し、そして、対象を利用することを語りました(Winnicott1971:第6章)。彼は、見つけ出されて、転移のなかで復活されることを必要とされることを必要としている体験についての無意識の気づきがすべての患者のなかにあることを認識していました。それゆえ、患者は、以前には取り扱い難かった体験とふれあうための機会を分析のなかに捜し求めます。ゆえに、分析家は、未解決の感情が続いている、より早期のあいだがらを表象するのにたびたび使用されます。同じように、分析家の過ちも早期の悪い体験を表象するのに使用されましょう(第5章参照)。