うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

神戸館さんと『患者から学ぶ』と、キーツの負の能力



今日は夜勤なので、午前中に年末チャリティーのはがきの打ち合わせに神戸館さんに行って来ました。
 その時に、開催されていた高齢者施設に通われている方々の作品展を見させて頂きました。


 絵画の方は、迫力がありましたが、ガラスに反射して上手く写せませんでした。

本当に一年早いですね!自分の作品は作ってないので出せませんが、チャリティーに出せるものは少しずつ集めていますので、ご期待ください!



やっと『クライン派の発展』を読み終えました。
訳者解題(世良 洋)の一部をアップさせて頂きます。
少し時間があったので『患者から学ぶ』P,ケースメント著 松木邦裕
ウィニコットとビオンの臨床応用―に入らせて頂きました。(一番先に来たので(笑))
フロイトウィニコットといった人たちのように、患者たちからの学び方を自然に学んだ天才分析家たちがいました。〜 林竹二先生も、ソクラテスのドクサの吟味から同じようなこと、学問とは知識を見せびらかすものではなくて、知らないことがあるので、知ろうとする努力をすることだと言っていました。Bionもソクラテスから感化されたのでしょうか?



クライン派の発展』訳者解題(世良 洋)第1部 フロイトの二つの側面
 
 フロイトは一九二二年五月一四日付けのシュニッツラーあての書簡で、精神分析の父である彼自身が苦労の末にようやく見つけたことを直感的にわかってしまう芸術家と自分自身が同一化していることに気づいているといっている。自然科学者であり理論家のフロイトは忸怩たる思いであったろう。また、ビオンはフィロイトの文学的表現に卓越した美的感覚を認めていた。メルツアーは本書において理論家フロイトと臨床家フロイトに分けて、フロイトを論じている。理論家フロイトは、精神分析をその時代の文化に留まらせて拘束し、野心的で支配的であったが、ただし同時に精神分析という方法を探索するうえで彼自身を律するものでもあった。自由連想も彼の強要する側面であった。医学界で名を残したいという願望が、この理論家フロイトを牽引し、そして彼の理論や発見のゆえではなく、フロイトを偉大な人へと変貌させたのであった。彼の夢理論は、夢は翻訳というサインである言語を介して解読されて再び組み立てられる必要があるジグソーパズルモデルであった。このようにフロイトは、精神分析を、転移における現在進行中の神経症を生き抜くことというよりも、過去から乳幼児神経症を再構築することとみなしていたために、内的世界を十分に概念化できなかった。このような口調で辛辣に理論家フロイトを批判しているのは、当時のメルツアーの英国精神分析界への姿がそうさせていたのであろう。
 その一方で、科学とアートの二つの頂点をもち、神経生理学を詩に変え、作業する芸術家となった臨床家フロイトは、精神分析を発展させ、概念的に前進させた。偉ぶらない芸術家的側面に由来するフロイト人間性こそがいわばキーツの負の能力であった。方法と患者に追随し、眼前の事象と混乱する情動のただなかに佇み、理解しないままで耐えるようにさせた。そして、精神分析的方法の進展は、どれもフロイトのこの側面に触れたときである。たとえばドラという小娘に笑われ、その屈辱に彼が耐えられたからこそ、技法が生まれ、転移と逆転移の発見へといたらしめ、精神分析が誕生した。フロイトの理論を追うよりも、むしろフロイトのケースとの関係を追うと、その姿が如実に現われるのである。〜





『患者から学ぶ』
P,ケースメント著 松木邦裕ウィニコットとビオンの臨床応用― 
はじめに
私は一連の観察からこの本を書いてみようと思い始めました。たとえば、経験豊かな分析家とか精神療法家は、すみやかに、そして、適確に患者を理解するというよく耳にする神話があります。患者たちによっては、「抵抗している」と言い返される危険をはらみながらも、彼らはこのことに逆らおうとしますが、確かに、それを期待する患者たちもいます。おそらく、確かなものを見つけたいという望みがそのことで充たされるでしょう。ある治療者たちもおのずとそのことを期待しているようです。おそらく、賢くありたいとか大きな影響力をもちたいという自分では認識していない願望を満足したいのでしょう。そんなわけですから、即座に理解することが患者やスーパーバイザーから求められている、と訓練中の治療者たちがよく想像してしまうとしても、それは驚くほどのことではありません。このことが、有能であると見られたいゆえに知っていたい、とプレッシャーを作り出します。そんなことで、患者たちに与えられる解釈は、他の人たちの論文や教えから選り抜かれて、「既製品」を釘からはずして持ってこられましょう〜
フロイトウィニコットといった人たちのように、患者たちからの学び方を自然に学んだ天才分析家たちがいました。しかしながら、そうした天才たちとか精神分析での著名な人たちの輝きとかに勝ってやろうとほかの人たちがすることは妨げになりますし、誤ったことでしょう。私は思うのですが、分析家や精神療法家の大多数は、彼らにできる世話をしながら真実を探している―必ずしも俊才ではない―より普通の、誠意に充ちた勤勉な人たちなのです。時間と経験を重ねることでよりよい治療者になりたいと努めている人たちに私は私自身を入れますし、とりわけ、この探求での私のこの仲間たちに私は語りかけたいのです。〜


「私たちがどんなに経験を積んでいようと、いまだに私たちは、いくつの子どもたちについても、どのように子どもたちを育てたらよいのかについてはほとんどさっぱり知りません。私たちは私たちが知らないということを知り始めています―それが大事なことなんです。」(Bion 1975:147)



夜勤に行って来ます!


キーツの負の能力ウィキペディアで調べました。

キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」の理論は1817年12月21日日曜日付けの弟宛ての書簡に表明されている。


私はディルクにさまざまなテーマで論争ではないが長い説明をした。私の心の中で数多くのことがぴたりと符合しハッとした。特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

キーツは、偉人たち(特に詩人)には全ての物事が解決できるものではないということを受け入れる能力があるのだと信じた。ロマン主義者としてのキーツは想像の中で見出される真実により神聖な真正性に接することが出来るのだと考えた。そのような真正性は他の手段によっては理解し得ず、よってキーツは「不確かさ」と書いた。この「不確かさの中(にあること)」は俗世のすぐそこにある現実と、より完全に理解された存在のさまざまな可能性との狭間にある場所であった。これはキーツの「多くの部屋のある館」(en:Mansion of Many Apartments)というメタファーと関係している。

キーツはこの概念を多くの詩の中で探求したと考えられる。