うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

実りの秋?と、ビオン「統合失調症論文」より


 9月になりました! 日中はまだまだ暑いですが、朝夕は大分涼しくなりました。
稲刈りも祭りが近いので、急ピッチで?刈り取っているように見えます。稲穂を一本頂いて、仕事場の神さんに供えました。
 まりちゃんは年越しそばの心配をしています(笑)(お正月から心配してますが.....。)


 今日も隙を見て(笑)『クライン派の発展』を読ませて頂きました。
ウィニコット⇒クライン⇒ビオンと少し遡りながら(行ったり来たりですが)来たので、ビオンを読み終えたら、フロイトまで遡ろうと思っています。

クライン派の発展』第3部 ビオン
第3章 統合失調症論文
〜幻覚についての論文は、夢と幻覚というこれら二つの概念を、そしてある点では妄想の概念についても、相互に連接させる企てです。「私が幻聴についてこれまで話してきたことから少し前進して、精神病患者が夢を見たと話す際には、彼は自身の知覚装置は何かを放出するのに従事していて、そしてその夢は自分の腸管からの排出と酷似した彼のこころからの排出であると考えていると推定するようになっている」(p,78)。言い換えると、通常に夢みることと幻覚とを引き合わせることが彼にはできません。というのも、精神病者の夢が通常のそれであるという確信を得られないからです。幻覚の過程は感覚器官を感知された(取り入れられた)対象を排出するために使うこと次第であるという、この論文の中心にある考え方は、それ自体極めて独創的です。しかし発想としては、おそらく真に新しい物ではありません。新しいのは、幻覚を面接室での現象として観察するビオンの能力です、「患者が私を一瞥したときに、彼は私の一部分を彼のなかへと取り込んでいた。それは私が後で彼の思考を彼に解釈したように、あたかも彼の目が私から何かを吸い取ることができるかのように、彼の目の中へと取り込められた。これが、そうして私が着席する前に私から取り除かれ、そして排出されたが、またもや目を通してだった。それが部屋の右隅に置かれたのは、彼がカウチに横たわりながら、それを観察下に置いておけるからだった」(p,67)。
 かすかな震えをも見定め、一瞥で意味を読み取り、曖昧な言葉遣いに注目して、患者が「六ヵ月前に」と言ったことに結びつける計り知れない集中力は、分析作業の厳しさに精通した誰をも驚嘆させるものです。この外へ内へと向ける観察力こそが、ビオンの独創性の源泉であり、新たに観察された膨大な情報を意味のあるものに整理する概念的枠組みを見つけようと当時彼は苦闘していたのです。
既存の理論に忠実であろうとして彼は頑なになり、そして、読者はもちろんこの論文の終わりで極めて斬新な現象が圧搾され偏狭な公式となっているのに深く失望します(p.82−85)。しかし臨床素材は、生気に満ちています!それが生き生きと面接室での現象学の新分野の開幕を告げています。ここでは統合失調症の患者に言及しているようですが、障害の程度は何であれ、たとえ「健康な」候補生においても、患者の分析に、いまだ気づかれていない表象を発見するのは避け難いものです。