うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

梶の葉?と『現代精神医学批判』(からだに触ってください)計見一雄より


七夕が近いこと、近くの商店街の飾りで気づき(笑)梶の葉を探しましたが見つからず。近くの街路樹のプラタナス?の葉を一枚頂いてきました。なんか色気がないですね.......。
 冷泉家の七夕を意識してみました(笑)が......。
梶の葉に願い事や、短歌等書いていたようですね。
 紙の原料だったとも聞いたことがあります。
以下、ネットで少しだけ調べてみました。
平安時代に七夕の話が日本に伝わると、宮中行事として七夕行事が行われるようになりました。宮中の人々は桃や梨、なす、うり、大豆、干し鯛、アワビなどを供えて星をながめ、香をたいて、楽を奏で、詩歌を楽しみました。サトイモの葉にたまった夜つゆを「天の川のしずく」と考えて、それで墨を溶かし梶の葉に和歌を書いて願いごとをしていました。梶は古くから神聖な木とされ、祭具として多くの場面で使われてきました。

サトイモの葉は、近場に沢山あります!が、書道は苦手です......。

 今日は、事務仕事の合間に(シフトでは休みでしたが......)ウィニコットから離れて、図書館で借りてきた本を読ませていただきましたが、大事なことが沢山書かれていて、なぜこんな題名にしたのかな?と少し勝手に残念な気持ちになりました。
 からだに触ってください。は凄く分かります!福祉の現場でも同じでは?と思っています。

 沢山勉強させていただきましたが、少しだけアップさせてください。

『現代精神医学批判』 (からだに触ってください)計見一雄
第1章 鬱と自殺
眠りについて
 バブル崩壊のちょっと前でしたが、「時テクのすすめ」というコラムが大新聞に載りました。その趣旨は、我々の生涯に過ごす時間のうちの三分の一は眠っているからこれを活用できないかというもの。「財テク」大流行の時代だったのでそのもじりです。
 寝ている間に学習すれば三分の一の無駄が省けるというのです。この以前から、睡眠学習機なるものが受験生目当てに売られていたこともあります。眠っている間にも単語を覚えるという代物です。こういう発想は、眠っているあいだは脳がさぼっているという誤解から生じます。脳だけではない、身体全体が、あなたが眠っている間に働いているのだという事実に無知だからでしょう。
 ごく日常的な現象として、朝起床時に体重を計ると前夜よりも減っています。せいぜい夢を見るくらいなのになんで体重が減るんだ?夢の作業については後に触れますが、いくら脳が血糖を消費するからといって、そんなに消費するとは思えません。
 全身で消費しているに違いないのです。
 ある糖尿病の患者さんが、ひどいストレスにさらされた時に急激に悪化しました。血糖値が急に上昇した上に体重が三キロ減りました。この時は強い不眠に悩まされていたのです。眠れなくて何回も起きて輾転反側していれば、体重が減って当たり前?でも、一キロやせるほどの運動量はそんなものではありません。
 あきらかに糖代謝回路にヘンな事が起きているのです。この病気で高血糖と痩せが同時に起きるのは、糖が燃やせなくなって脂肪を燃やしだしたことを意味します。ちょっとヤバイ事態です。
 内科医ではありませんので、詳しく論じる力量はありませんが、肝臓での糖代謝回路がうまく機能しなくなっていたようです。
 寝ている間、からだはさぼっているというのは間違いだ、という証拠でしょう。ご主人様がぐっすり眠っている間に黙々と働いてくれている内蔵機能がまずくなった。この他にも熟睡中にしかうまく作動しない身体内の工場がありそうです。
 寝ている間にも休まない働き者が私たちの身体にはそなわっている、あるじが寝ていてくれないとその働き者が働けない。
ここまでは、身体という生化学工場の中での睡眠の機能ですが、脳にとっての睡眠の重要性はなんでしょか?
 眠りを奪われた人を苦しめるのは、一言でいうと「昨日が今日にならない」という感じではないかと思われます。
 「一日の苦労は一日で足りる」とジーザス・クライストも言っています。
 「この故に明日のことを思い煩うな、明日は明日みづから思い煩はん。一日の苦労は一日にて足れり」(マタイによる福音書六章三十四節。文語約聖書)

 今日いろんな目に遭って、感情的に揺れ動いたとしても、一晩寝れば翌朝にはさっぱりして、新しい日を始められるのが、私たちの普通の日常です。一夜の安らかな眠りのお陰で、苦悩が積み重なることはない。
 眠りが忘却をもたらせてくれる、のでしょうか?
 一晩眠るたびに、前の日のできごとを全部忘れていたら、これまたどうにもならないでしょう。私の脳は毎朝カラッポになるわけではない。年をとると、それでもいいかと思うこともありますが。
 大事なことは記憶の貯蔵庫にしっかりしまい込み、不完全燃焼のままの機能の感情はなるべく忘れたい、というのが普通の人の願いです。
 大事な記憶と些細な記憶を整理してくれる仕事を、眠りがしてくれているらしいのです。
 夢の心理的な意味を最初に解明しようとしたのは、フロイドでした。その著『夢判断』は、かれの膨大な著作の中でも白眉とでもいうべきもので、今でも読むに足る内容を持っています。 
 今日、フロイドの夢理論が睡眠研究者に、そのまま受け入れられているわけではありません。夢の願望充足機能というのが、その理論の中核です。なんらかの、欲求不満足が無意識のうちに潜んでいて、その人に満足を求めている。しかし、本人がそれに気づかぬままなので、充足させようがない。そいうときに夢内容が、代わって充足させてくれる。夢が語るのは、あなたの無意識に潜む欲望を知らせ、その願望が満たされる方法を示すことだ、というのがフロイド説の骨子です。
 現代の睡眠理論では、欲求不満の解消まではいわれません。
 記憶の整理をしている脳の働きが、夢として表現されているのではないか。その整理とは、前日にあった出来事のうちで重要なものは残し些末なことは捨てることのようです。
 捨てることと残すことという二重手間がなぜ必要か。
 私が朝起きてから夜寝るまでの間に見聞きする事象は膨大な量になります。家を出て、駅まで歩く間に見たり聞いたりする人や事物、風光の一つ一つを思い出して詳細に語れと命じられたら、歩行に要した時間の数倍はかかるでしょう。リアルタイムで、ア、犬が来た、ポストの前だ…….式に録音録画したとしても、目の隅をかすめた人や物、遠くで鳴っている鐘の音までは機械には入らない。しかし脳は感知している。そういう刺激の一つ一つをことごとくメモリーに残したら、アッという間にパンクするでしょう。
 それゆえ、脳のメモリーには些細なことを消去するメカニズムが備わっているに違いない。記憶に留まりうる事柄というのは、その人にとって大事なことに違いないわけで、その場合の大事とは、感情的な負荷がかかっているという意味になります。〜