うたたねにネコが!
夕方、学齢児さんの入浴の為、うたたねのスロープを登ろうと思ったら、かわいい子ネコがスロープに横たわっていました。(笑)
中々逃げないし、近寄ったら段ボールの後ろに隠れたので、段ボールを除けたら威嚇されました(笑)しゃべらなかったら可愛いのに.....。と誰かに言った気がしましたが(笑)倉庫に入って行ったので、倉庫に住みついているのでしょうか?
倉庫は、外壁の張替え時に撤去するので、(時期は未定ですが)それまでに、猫好きな職員2名と大家さんに貰ってもらうと、親分が勝手に決めていました(笑)
帰宅すると、ねこさんが、帰ってきたのか?的な顔をするので(笑)
写真を撮ってやったら、直ぐに寝てしまいました.....。
学齢児さんのバスを待っている間、ウィニコットを少しだけ読ませて頂きましたが(違う箇所ですが)、支援の事で色々考えていたら思い出した箇所なのでアップさせて頂きました。ニードを見つけても焦らず、環境設定などが十分できてからでないと、きちんとした支援が出来ないのかもしれませんね。
そしてウィニコットのように、控えめな支援が必要なのは言うまでもありません。
明日は、ケース会議です。
『抱えることと解釈』序より
〜患者によるウィニコットの使用を理解するために本質的概念は、〝母親が状況を抱える”そして〝母親の技術″という言い回しの中にある。この患者の転移関係を注意深く調べてみれば、1つの特徴が著しく際立って見えてくる。それは、患者がウィニコットの分析技法を観察し、それをすぐさま自分の言葉にするという、その勤勉さである。全体を通じて、彼はウィニコットの分析技法を隔離して、それを自分自身だけのものにしておくために客観的な対象としてのウィニコットを拒否し、否定した。彼がウィニコットに任せたのは、臨床的な状況と空間を抱えることである。さらに言語は、この患者がウィニコットを遠ざけておくのに必要としていた障壁を彼に与えたのである。臨床的進展が彼を相互性mutualityに向けじりじりと迫る時は、いつでも彼は眠りに落ちている。身体的な接触に対する彼の言語的な〝要求demand″は、差し迫ったニードそして/または願望を早々と先取りして言語に引き渡そうとする彼のもう1つの策略にすぎない。そこでそれらが石化されて、生気を失っている。このような考えに基づいてウィニコットは、彼を安心させるように、「適切な時に与えられる正しい解釈というのは、一種の身体的な触れ合いだ、といえるでしょう(p,280)」と言う。この患者の内なる保護膜がいかに不安定なものであるかを、ウィニコットはずっと感じている。優しさや思いやりのある身体的相互性において興奮が実際のものとなり、どんな形であれ偶然それが到来していたら、この男性の精神装置の絶え間ない勝負師的なやり方を簡単に台無しにしていただろう。それゆえウィニコットは、この患者の排他的な使用法としての、慎重な言語の領域に留まっている。このため患者は、遊ぶことのための能力には決して到達することがない。それは彼の思考の中の郷愁的な可能性に留まっている。ウィニコットは、この患者がそれと共に生きなければならない窮屈さを深く意識している。ウィニコットは次のように患者に言う。この患者が「償いの能力のことでこんがらがって(p,44)」いて、そしてそのことが彼にとって不吉な予感をもたらしているのは、「満足することが彼にとっての対象を絶滅させてしまう(P,47)」であるからである、と。こうした限界があれば、非常に特殊化された、距離のある方法でのみ、患者はウィニコットを使用することができるのであろう。彼の基本的なウィニコットの使用は、私有化された空間personalized spaceを見つけ出すことであり、それはそこで彼が自分の思考、そして自分の経験で観察してきたものをのびのびと展開することができ、それらの間の相互作用を試験的に許容するような空間なのである。しかしここにおいても、眠りがかれの避難場所であり、彼にとって唯一の依存体験なのである。ある時彼が眠った後に、ウィニコットは次のように解釈する。「あなたは、眠っている間、そこで引き受けてくれる誰かに抱えてもらいたい、というニードをもっていたのです(P,284)」この患者がウィニコットを活用する時に彼が絶えず利用するのは、ウィニコットのある種の控え目さである。ウィニコットが患者に解釈しているものより多くのことをウィニコットが知っているということを、患者は知っている。このことが彼らの間に共有された1つの秘密である。もう1つの秘密は、ウィニコットが記録を取っているということである。〜