志多らさんとログドラムと『ビオン入門』(グリンベルグ/ソール/ビアンチュディ著・高橋哲郎訳)
日曜日に、チームろぐっこさんが、志多らさんをお呼びしてワークショップをされていました。
親分とホームの4名が参加させて頂きましたが、楽しかった様で、夕食時に「楽しかった」と話してくれました。
先日、夜勤時、うたたねにあるギターの弦を張り替えていたら、晴君がいたずらばかりして、中々張り替える事が出来ませんでしたが(笑)なんとか張り替え、夜のひと時に静かな曲でも弾かせて頂こうと思ったら
拓ちゃんに持って行かれ(笑)
寝る間際まで、ギターを弾きながらラップをやっていました(笑)
逆に楽しませていただきました!
こちらも浜松のハードオフで2,000円で買ってから弦を張り替えてませんでした(笑)
懐かしい、モーリスのギター!ヘルパーさんが型番を見て、元は20,000円のギターって言っていました。2,000円にしては使えるギターですね。弦高が高いのが少し気になりますが......。
うたたねの駐車場のバラが咲いたり
大きめの生け花を考えていたら、ねこさんが邪魔したり(笑)
急に遠出しなくてはいけなかったり、明日は名古屋だったり、少しブログを休むと、写真やネタ(笑)が溜まります。
今は総会の資料つくりに頭を痛めています......。
7月に行う(決定しました!)ワークショップのチラシに使う写真を撮るために、朝、デモをやりました。
そんな中でも何とか読書はさせて頂いています(笑)
ビオンも凄いですね!おそらく今は誰を読んでも凄いと思うのでしょうね(笑)
『ビオン入門』 (グリンベルグ/ソール/ビアンチュディ著・高橋哲郎訳)
序言
Vermeerの描いたデルフトの小さな家の絵を見ている時、かつて味わったことのない情緒経験をしていることに気づくことがある。私がこの本を読んでいるときでさえ、わたしの著書の読者がいったいどんな経験をしているか想像もつかない。せいぜい、非常に不完全な推測をするくらいである。分析学徒が訓練の間に、そして一生通じて、人間の心、あるいは人格がどのようなものであるかを学ぼうと望むところに、精神分析における矛盾がある。しかしその人が学べるとは限らないし、あるいは生まれつき事実を尊重する素質、とりわけこの分析という特定領域では、人格という「事実」を尊重する素質を持ち合わせていなかったら、この希望は無意味であろう。さてこの観点から見れば、分析学徒は自分の患者が他のすべての人間と同様であることを見出したいと望んでいることになる。ところが事態は複雑である。つまり、通常その事態を個人―群衆の中の一人というより独りの人としての個人―という特殊性に関連させなければならないからである。一方において当たり前のことにつきまとう退屈と敵意と単調という危険を避け、なおかつ、「特殊な」事実を広い異議を持った「一般論」としてみなそうとする危険を避けるにはどのようにすればよいか。「発見」(通常いわれるように、適切に「構成され」あるいは「解釈された」)は、「特殊な」意義を持つかもしれないが、「一般化できる」ほどの重要さを持たないかもしれない。しかしそれを悟るのは、どうも難しいようである。言い換えれば、自分の発見したことが一般化できる意義や利益を持っていると信じることなく、そのままを耐える(尊重する)ことができるかどうかという分析家の能力に関係しているのである。私は読者諸氏がこの能力を持てるようになるために、この本が役立つことを希望している。
W.R.Bion
あるいは生まれつき事実を尊重する素質、とりわけこの分析という特定領域では、人格という「事実」を尊重する素質を持ち合わせていなかったら、この希望は無意味であろう。
福祉職も心に留めておきたい箇所でした。