うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お薄と茶畑と、愛着と安心


 昨日は天気に恵まれて、皆さんで沢山歩きましたが、今日は荒天だったので、希望者だけドライブに行きましたが、ただのんべんだらりと行くのも芸がないので、池之原に立ち寄り、お薄を頂きにいきました。
 

 お菓子は、長榮軒さんの桜色した、練りきりではなくお餅でした。
みなさん最初は、上品に黒文字で切ろうとされていましたが、思いのほか弾力があり、頑張った結果

 ゆうちゃんは手で持って口に!まりちゃんは女性らしく黒文字で頑張って切って、きちんとお口に!ふみくんは頑張りましたが、きちんと切れず、黒文字で刺して口の中に!お茶の先生は楽しそうに見てくれていました。

 点てて頂いたお薄を、ゆうちゃんは大名みたいに!

 まりちゃんは、お茶碗を回して、正面を避け!

ふみくんは「おいしいね!」と何度も言いながら、本当に美味しそうに頂いていました。




 ゆっくりしてくださいね!と先生が言ってくれたので、少しのんびりさせて頂きましたが、ゆうちゃんのメーメーが出ないうちに(笑)お暇させて頂きました。
 その後、近くの茶畑にドライブして、お茶摘みまじかの様子を見て来ました。
 強風で葉同士が擦れ合って、茶色くなっている所もありましたが、霜が今は一番の敵ですね。

 先日読ませて頂いた「木村敏中井久夫」の特集2は発達障害と刑事事件という表題がついています。その中でも、「クライン入門」や「いやされない脳」に繋がっている箇所をアップさせて頂きます。




木村敏中井久夫』特集2
発達障害と刑事事件
Ⅲ 医療支援と生活支援
発達障害と「問題行動」滝川一廣
愛着と安心
しつけを通して意志の力をはぐくむには、けっこうな努力がいります。生物的自然に敢えて逆らうわけですから。幼い子どもがこの努力を払えるのは、乳児期から親(養育者)との間に強い愛着と安心のきずなができているためでしょう。しつけは一般に親がしますね。深いきずなをもった養育者から「うんちはオマルでしましょう」「手掴みでなくスプーンで食べましょう」と差し向けられるから、子どもは取り組めるのです。それに加え、親(養育者)自身もそうしているからですね。大好きなお父さんお母さんが、お茶碗とお箸でご飯を食べている。
トイレでおしっこやうんちをしている。だから自分もそうなりたいという積極的な意欲によって、子どもの努力は支えられています。
 乳児期までの親子の関係は、子どものほうが、もっぱら与えられ、してもらう関係でした。首尾よくうんちをオマルに出すと親は大喜びするでしょう。これは子どものほうが親に与える初めての体験で、幼児にとってうんちは「プレゼント」の意味をもつとフロイトは言っています。しつけとは、一見、ああしなさい、こうしなさいと言われて、させられる受け身の体験に見えますが、そうではなく、それまで親から与えられるばかりだった子どもが、自分が親に与え親を喜ばせる体験をもたらします。ここから、自分にはその力があるという能動性が育まれますね。意志の力とはこういうもので、これによって子どもは欲求や衝動を自らの力でコントロールできるようになっていくのです。
 こう考えれば、ネグレクトのように、しつけはもちろん、養育者との親密な関わりが放棄されてきた子どもたちが衝動をコントロールする力に極端なほど乏しくて当然ですね。いっぽう、少しでも失敗すれば罰せられる強圧的なしつけも、意志の力の形成を阻みます。外圧によって受け身にコントロールされるばかりなので、自ら内発的にコントロールする力が育たないからです。しつけはうまく進まず、それがいっそうしつけを強圧化させる悪循環を生んで、身体虐待に傾いてゆきます。アビューズを受けてきた子どもたちの衝動性が高く、攻撃性や暴力性をコントロールできずに暴発させてしまう背景には、こういう問題が潜んでいます。生物的自然にあえて拮抗する力を身に着ける努力は、愛着と安心のきずなに導かれねばなりませんが、そこからまず躓いているのですね。裏からいえば、子どもたちはまわりとの愛着と安心、そのつながりがあることで極端な逸脱から護られていると言えるでしょう。